展覧会概要
川崎祐は、家庭内写真と地方・郊外をテーマに、作品を制作してきた写真家です。2017年から発表を開始し、2019年に写真集にまとめられた『光景』シリーズは、地方における家族の風景を家父長制批判などの観点から捉え直す作品でした。
本展では川崎が2018年から撮影を続けてきた和歌山県新宮市で撮影された作品を展示します。聖地として知られるこの場所に通いながら川崎が関心を寄せたのは「荒地や空き地や住宅」などの風景でした。その継続的な撮影を通して川崎は、ありきたりな景色の中に「じぶんを縛り、恃みにもなってしまった風景」を見出します。さらにそれを他人に向けてひらこうとすることが、川崎の試みと言えるでしょう。
なお本展では写真作品に加えて、川崎が本展のために書き下ろしたテキスト(ステートメント)もあわせて配布します。
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このあいだ帰省したとき、むかしのじぶんが見えたんだ、とわたしに言ったのは懇意にしていた年上の知人だったが、当時(二十年ちかくまえのことだ)のかれは初老に差しかかっていて、大学進学を機に上京したひとでもあったから、そのときのかれに見えたかれは子どもか少年か少年と青年のあいだのかれだったのだろうと思う。妙なことを言うものだと疑念らしきものがわずかに頭をよぎったものの、かれはその話を本格的には展開せず、話題はすぐ、ちがうものに逸れていった。あれはなんだったんだろう。そのときのわたしは思った。
いわゆる聖地と呼ばれる場所に通ったのは、大学のころに勉強していた(二十年ちかくまえのことだ)小説家の出身地で、一度その場所を見てみたいと思った、そんな理由からだった。海にしろ山にしろ森にしろ、みあきることのない景色がいたるところにひろがる新宮とその周辺の、迂回に迂回を重ねたようなぐるぐるつづく道という道を歩きながら荒地や空き地や住宅が気になった。ここにもあった。擦り切れるほど眺め、記憶に染み付いた風景が。じぶんを縛り、恃みにもなってしまった風景が。そのなかに、じぶんはもう見えてはない。ほかのだれかが居た場所なのだ。見たこともないひとのことを想像しながら、シャッターを押す。あのとき、かれにはかれが見えていたんだろうと(二十年ちかくたって)思う。新宮から大和八木へと向かう路面バスの窓ガラスの先を、熊野の風景がすっと通りすぎている。
− 川崎祐
プロフィール
川崎祐 / KAWASAKI Yu
1985年滋賀県生まれ
2009年早稲田大学第一文学部卒業
2013年一橋大学大学院言語社会研究科修了
個展
2021 | 「光景」(MARÜTE GALLERY / 香川) |
2020 | 「光景」(忘日舎 / 東京) |
2019 | 「光景」(ニコンサロン / 東京・大阪) |
「小さな場所」(SPRING GALLERY / 山梨) | |
「小さな場所」(ギャラリーつつむ / 滋賀) | |
2018 | 第17回「写真」1_WALL グランプリ受賞者個展 「Scenes」(ガーディアン・ガーデン / 東京) |
グループ展
2017 | 第17回「写真」1_WALL展(ガーディアン・ガーデン / 東京) |
受賞
2017 | 第17回「写真」1_WALL グランプリ |
出版
2019 | 『光景』(赤々舎) |
その他
トークイベント「つくるとはたらく」(動画配信)
〔日時〕2022年9月3日(土)20:00−21:30
〔ご視聴方法〕
予約締め切りました。
たくさんのご予約ありがとうございました!
※ご予約いただいたあとにお送りする視聴リンクは、他の方と共有したり、SNS上で公開するなどはせぬようお願いいたします。
※配信後2週間程度はアーカイブが残りますので、その期間内でしたら何度でもご視聴可能です。
〔イベント概要〕
フリー、会社員、非正規雇用……働く立場はちがっても、制作活動は「仕事をして賃金を得ること」と切っても切れない関係にあります。また、働く現場でも制作活動の現場でも労働問題はいつでも起こりうるものです。そこで今回は、労働問題を専門とする文筆家の西口想さんをお招きして、「つくること」についてまわる「はたらくこと」の問題を考えるイベントを企画しました。労働と制作の双方で大変な立場に置かれたとき、あるいは、どうしたらいいか悩んだときに一助となるようなはなしを、自分の体験も交えてできればと思います。
登壇:川崎祐、西口想
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登壇者プロフィール
西口想 / NISHIGUCHI So
文筆家・労働団体職員。
1984年、東京都生まれ。早稲田大学第一文学部を卒業後、テレビ番組制作会社勤務を経て、現在は労働団体職員。著書に『なぜオフィスでラブなのか』(堀之内出版)。
川崎祐 個展「未成の周辺」
2022年8月26日(金)〜9月7日(水)
12:00〜20:00 ※木曜日休廊、最終日17:00まで