2017年2月12日

喜多村みか 写真展「meta」

展覧会概要  100年後、ここに写っている人たちはもういない。もちろん、私もいない。 触知できない何かを感じられることが、写真の、とくに人が写っている写真の力でもあると思っている。写っているはずのない、入り交じった思いや、そこにあったかもしれない物語(あるいはそんなものはない)、残したいというノスタルジックな願い。これらを探してしまうとき、私はなんとも言えない気持ちに襲われて、なにか霊的な力すら感じることがある。そういった、写真の映画的な部分が私は好きだけれど、本当はそうしたものは写っていないとも思っているし、ましてやそのことを証明したいとはこれまであまり考えてこなかった。 蚤の市で目にするような100年前の誰かのポートレイト写真が魅力的であるいちばんの理由は(これまで重々語られている通り)被写体がすでにこの世にいないことだ。だとしたら、私が撮った写真も半ば自動的にその魅力を帯びていくのだろうか。そこに写っているものを超えて、ロラン・バルトの言葉を借りるならば「手に負えないもの」(ロラン・バルト『明るい部屋写真についての覚書』花輪光訳,みすず書房)たちが熟していくこともあるだろうか。つ […]