2023年11月29日

顧夢 個展「Wind through the eye of a needle, no smaller than a mountain」

知覚された世界のなかでは、絶対的なものは存在しない、あるいはあらゆるものが相対的であると考えている。  現実で大きいと認識されるものは必ずしも大きくないし、小さいと認識されるものは必ずしも小さくはない。たとえば、針に糸を通すとき、私がそれを凝視しているあいだ、針の目と糸は私の知覚の大部分を占める。このときの針と糸は、遠いところに連続している山々のなかの一つよりも「大きい」。  私の知覚を捕獲するものは、相対的であると同時に偶然的でもある。  北海道でフィールドワークをしたときのこと。山間を走っていた電車のなか、ある窓際におよそ0.1cm³の空間を占めた小さな蠅ちゃんが、かれの6本足であるさらに小さな水玉を遊んでいた。終点に着くまでに、私はずっとそれを見ていた。蠅ちゃんは知らないだろう、彼と彼の遊戯は、私の全ての目的と計画を超越し、この旅における最も大切な記憶になった。  それらの知覚のなかで遊戯するものは、決して固定したものではない。それらは流れている、常に変化している。  ある山に近づき、山のなかに入ったとき、私の山に対する知覚が拡大される。先ほどの山に対するぼんやりしたイメージのような知覚は、細部が満ちた知覚になる——黒い土の匂いと柔らかさ、ある花の模様と色、蜘蛛の巣、水が流れる音とその上の閃光。私に偶然に知覚された葉の顫えのなか、風は見えるようになる。
2022年11月30日

顧 夢 個展「ただよううた −La petite phrase−」

展覧会概要  本展では、日常生活で出会った断片的な詩のイメージを、写真で断片のままに再現することを試みる(*)。 *「断片」とは、様々な形を持っている。写真についていえば、それはときには、電車の窓から見えた一瞬の光景、ときには、写真が現像液のなかで印画紙のうえに現れている過程、ときには、ある写真をたまたま見かけたとき、見る人のなかで何かが蘇る瞬間…。「断片」は、一見バラバラのように見えるが、いろいろな時間を結びつける可能性をはらんでいる。 *「詩」とは、必ずしもアート、私自身の意志と表現に関係を持っているわけではない。それは、ただ名前の手前、出会いのなかに、ただよっている。時には、それを目で探す、時にはただそれを見かける。 === Statement 海を見るとき、時々自分が波の上に閃いている光であることを想像する。次の一秒、明日、来月、太陽と海水の動きにともなって、わたしはどこにどんな色と温度で現れるだろう。  そして、どんな風景が見えるだろう。  薄暗い身体のなかに閃いている快楽。その一粒の光の現れのために、私の身体が海になる(*)。 *「私の身体=私」ではない。私はただ、そこに、 […]