2016年12月12日

岡江真一郎個展「それはそれは怪しい」

展覧会概要  岡江真一郎のアニメーション作品に明確な始まりと終わりを見出すことは難しい。まるで循環するかのように物語は完結しない。そこに描かれている存在は皆、感情が読み取れない表情をしている。無彩色で、虚構と呼んで突き放すには妙に生々しいその世界からは、場所としての強い個性も見いだすことが難しい。 登場人物たちは何をしようとしているのか、どうしてそんなことをしているのだろうか。その「何故」への答えはどこにも見つからない。覚えやすくどこか少し物悲しいメロディーに歌われる詩もそれを教えてはくれない。 だが、それでいいのだろう。どんな意味があるのかわからないものを繰り返しているのが私たちだ。どこかに答えがあるかもしれない。しかし、ないかもしれない。何となく表情も薄れ、意味も忘れて繰り返す行為がどこにも行き着かなくとも、まあどうでもいい。 Alt_Medium
2016年11月27日

嶋田篤人写真展 「思わぬ壺」

展覧会概要 嶋田は房総半島を中心に撮影し、東京で発表を続ける写真家です。 作者は一見して房総半島と鑑賞者に悟られない被写体を選び撮影します。その写真行為は一枚の写真にその土地を集約しようと試みるものとは異なり、むしろとても断片的なものであるかのように見えます。しかしその断片を丁寧に結びつけることでその土地性にアプローチをかけるのが作品の特徴とも言えるでしょう。 また嶋田による撮影、現像、プリント作業の一貫した正確さから織りなす、モノクロームプリントの豊かな階調もあわせて、どうぞご高覧ください。 === 「思わぬ壺」 房総半島で写真を撮る。私はここで写真を撮るのが好きだ。ここは私の故郷である。実家には倉がある。倉の裏には大きな壺がある。ここに壺が無い記憶は無い。だから昔からここにある。雨粒がひんやりと表面を濡らす。刻一刻とトーンが蓄積され、黒く輝く。黒い光は何処かへの入口のように私を誘う。半島を行く。終わりのある道、雲より低い山、歩いては行けない海。爪を噛み、車を走らせる。考える。この土地で私の写真を問う。それらはただそこにあり続け、だからこそ自由である。 嶋田篤人 === 嶋田篤人は房 […]
2016年10月30日

山口和也  “ Eternal trace ”

展覧会概要 瞬間の彼方には永遠があって、僕はその永遠を描写する。- 山口和也 === -着火したその瞬間、画面の隅々にまで眩い光が駆けめぐる、と作者は語った。特別に作り出された花火によって金属の輝きをもつ支持体の上に一瞬にしてイメージを描き出す。作者は幾度かの経験によって、この手法により形成されるイメージを予測することができるのかもしれない。しかしどれほど経験を積もうとも、作者の「手」が及ばない領域が最後には残るだろう。そこにおいて作者は「あらわれるもの」を待ち望むしかない。決して物の写しとしてのイメージが形成されているわけではない。しかしその光の瞬きの痕跡とも呼べる絵画は、どこかWilliam Henry Fox Talbotが自著に冠した「自然の鉛筆」という言葉を思い起こさせる。 山口和也の「Eternal trace」という一群の作品の中に「Flowers」と名付けられたものがある。花火には欠くことのできない導火線がここでは植物の葉や茎のような姿を見せ、その先にある鮮烈な色彩もまた夜空に咲く大輪のようである。そのイメージに瞬間とエネルギーによって花開いた生のあらわれを見るとき、こ […]