2026年2月27日
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2026年2月27日
首都圏の便利と不便の境界線のような場所で暮らしている。真新しい住宅と地域に根ざした暮らしとが混在する風景が続き、宅地の境目や川沿いには雑木林がひろがる。その周辺を撮影のトレーニングのつもりで歩いた。
生活に近い場所で数年間撮り続けた写真には、思考の軸のようなものが垣間見えた。日常の中で体感した様々なことが、被写体の中に紛れ込んだのだろう。
日々何気なく見たものを、撮影という手段できりとる。その一枚一枚を紡いだものは、言葉のように何かを伝える手段となりうるだろう。
見るという行為はその人の思考と直結している。
何を見て、何を思い、どう存在するのか。一つの方向からのみ物事を捉えようとしたとき、私達の視野は急速に狭まる。目の前にある小さな瞬間に何を見るのか。それは表層に覆われている物事の、深部に近づく限られた手段であるのかもしれない。
2024年6月5日
不確実な世の中を歩き続ける為には自分を守る強靭な盾が必要だった。
だが私が手に入れたのは、鏡のように美しくも脆い盾だった。
自分を守る武器でありながら、自分自身の弱さや未熟さやあらゆるものを映し出し、容赦なくそれらを跳ね返してくる。
自分が歩いている平均台のように細く不安定な道は、誰かが用意してくれた安定した広い道ではない。何も存在しない場所に一つだけ置かれた高く細い道は、歩くだけでも恐怖で足がすくむ。だがその周りに幾つも同じ高さの平均台が存在する場所までたどり着けたなら、安定した広い道のように進んでいけるのかもしれない。
自分を取り巻く不条理な現実と、自分自身の未熟さを受け入れながら、いつか辿り着くであろう場所を探して、細く不安定な日常を今日も歩いて征く。



