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2023年12月20日

松田真生 個展「FOREST/YOSEMITE -かたちを探して-」

写真というのは、間接性を本質とするメディアだと思います。写されたものを見て、そこから受け取る情報や感情は覚えていても、現像ないし印刷された像自体は見れば見るほど実体を失い、しばらくすると記憶から霧散してしまう。直接的で堅牢な表面を持つ絵画の像のように、記憶の中で解体されることなくいつまでもあり続けられる強さを持った「かたち」あるイメージを作りたいと思い、制作をしています。  「FOREST」は、東京の住宅街を被写体としたシリーズです。私の生まれ育った家は東京都杉並区の、密集した住宅街にあります。幼い頃は、何の変哲も無いつまらない街並みが、空間的にも時間的にも永遠に続くように感じていました。数年前からなぜかこの風景に不思議な違和感を覚え、撮影を始めたところ、こうした街並みもゆっくりと、しかし確実に変化し続けていること、さらに、そうした変化の積み重ねの果てに今の光景が存在していることを知りました。それらを新たな「かたち」として残す作業を続けています。  「YOSEMITE」は、コロナ禍で自由に旅に出ることができなかった時期に、過去の写真を見返す中で作品として浮上してきたシリーズです。アンセル・アダムスの作品などで有名なアメリカ、サンフランシスコ州にあるヨセミテ国立公園は、そうした既知のイメージを裏切る非常に多様な色彩と形態に満ちており、気付いたら夢中でシャッターを切っていました。それは、「自然」という無限の存在から私という有限な視点でもって「かたち」を見出していく行為でした。  東京の住宅街という人工的環境と、ユネスコの自然遺産でもあるヨセミテ国立公園は、人工対自然という単純な二項対立ではなく、各々の要素を複雑に内包しています。名前や意味といった言語的情報から離れ、色彩や形態といった「かたち」を中心に据えることで、こうした複雑な関係性を視覚化することを試みます。
2023年12月6日

岩崎美ゆき 個展「なみまの再会」

写真家の岩崎美ゆきは東京を中心に活動し、近年は新作による展覧会の開催を着実に重ねています。 本展覧会は2019年の「この海は、泳ぐためではありません」から数えて4回目にあたるAlt_Mediumでの個展となります。 岩崎の作品はデビューより一貫して、直裁に風景を写しとる硬質なストレートフォトグラフィーによって構成されています。 深い被写界深度で撮影された写真は、画面の隅々までピントが合うことにより、かえってそれを見る者の眼差しを画面上に彷徨わせるようです。 また同時に、そのようにして撮られた岩崎の写真には、耳目を集めて特別に名指される土地や景観というよりも、普段には人々が何気なく通過してしまうような光景が写し留められています。 この度発表される写真展「なみまの再会」においても、岩崎は変わらない姿勢で制作に臨んでいます。 岩崎は写真を、単なる事物の写しではなく、見る者の記憶や経験との関係において立ち現れる場のようなものとしてとらえています。 そのとき撮影者と鑑賞者は、分け隔てられることもなく、新鮮にイメージを体験するのです。 平明でありながら、それゆえに言葉しがたい深みを感じさせる作品をこの機会にぜひご覧ください。
2023年11月29日

顧夢 個展「Wind through the eye of a needle, no smaller than a mountain」

知覚された世界のなかでは、絶対的なものは存在しない、あるいはあらゆるものが相対的であると考えている。  現実で大きいと認識されるものは必ずしも大きくないし、小さいと認識されるものは必ずしも小さくはない。たとえば、針に糸を通すとき、私がそれを凝視しているあいだ、針の目と糸は私の知覚の大部分を占める。このときの針と糸は、遠いところに連続している山々のなかの一つよりも「大きい」。  私の知覚を捕獲するものは、相対的であると同時に偶然的でもある。  北海道でフィールドワークをしたときのこと。山間を走っていた電車のなか、ある窓際におよそ0.1cm³の空間を占めた小さな蠅ちゃんが、かれの6本足であるさらに小さな水玉を遊んでいた。終点に着くまでに、私はずっとそれを見ていた。蠅ちゃんは知らないだろう、彼と彼の遊戯は、私の全ての目的と計画を超越し、この旅における最も大切な記憶になった。  それらの知覚のなかで遊戯するものは、決して固定したものではない。それらは流れている、常に変化している。  ある山に近づき、山のなかに入ったとき、私の山に対する知覚が拡大される。先ほどの山に対するぼんやりしたイメージのような知覚は、細部が満ちた知覚になる——黒い土の匂いと柔らかさ、ある花の模様と色、蜘蛛の巣、水が流れる音とその上の閃光。私に偶然に知覚された葉の顫えのなか、風は見えるようになる。
2023年11月22日

水村丈夫 個展「Kitchen Garden」

郊外の市民農園。 立派に育った野菜もあれば、放置され腐った野菜、虫に食われた野菜もある。 育て方によって、様々な野菜の姿がある。 そんな野菜を観察し撮影した写真です。
2023年11月8日

菅泉亜沙子 写真展「光芒の兆し」

菅泉亜沙子は東京を拠点に活動する写真家です。 本展覧会は2018年以降、Alt_Mediumにおける3回目の個展となります。 菅泉の写真群は特定の被写体や撮影地に捉われることなく、自らに縁を持たない土地を歩き続けることによって生み出されています。 しかし同時に、いくら遠く見知らぬ場所へ移動したとしても自身が既に属している社会規範から逃れらないこともまた、菅泉は作品を語る際には強調しています。 それでもなお、撮影したものたちが、制作を通じて像として浮き上がった時、既知の世界を超えて、新たな視座を拓く兆しとなるような感覚を受けることがあると菅泉は述べています。 地道な歩みが持つ力強さと、瞬く光をとらえる繊細さを併せ持つゼラチンシルバープリントをぜひご高覧ください。 − Alt_Medium
2023年10月4日

内山真衣子 個展「産土 Ubusuna」

この作品は、2014年から2018年まで、わたしの生まれ故郷と各地の果樹園を追いかけた記録である。 わたしは埼玉県郊外の白岡市で生まれ育った。親戚が農業を営み梨園を保有していた。4月から5月にかけて受粉作業や実すぐりを時々手伝った。収穫の季節はいつも夏休みと重なっていて、出荷用の箱を祖母や伯父といっしょに組み立てた記憶がある。 海外に拠点を移し日本を離れていた時期もあったが、2013年に帰国。 日本に戻り最初に撮影をしたのがこの梨園だった。当たり前だった風景がなぜか違ってみえた。果樹が、実がなる樹という存在が、とても神秘的に見えた。 それから日本各地の果樹園に足を運び撮影を続けた。 青森では、りんご農家の主人に、息子が交通事故で亡くなり後継者不在という話を聞いた。瀬戸内海の小さな島で余命半年の高齢男性に出会った。妻に先立たれ自分も癌を患いながら蜜柑を育てていた。この作品を発表するには時間がかかり過ぎた。彼はもうこの世にはいないだろう。 白岡の梨園も2018年に終に閉めることになった。 伐採の当日、目の前で変わってゆく光景にシャッターを切り続けた。樹木を失った土壌はどんどん乾いていく。幹から切り落とされた枝はまだしっかりしているように見えたので、無造作に20本ほど持ち帰り浴槽に水を溜めて枝を浸した。 すると1ヶ月後に蕾がふくらみ始め、季節外れの3月に白い花が咲いた。 わたしは急いで枝を抱えて暗室に入り、最期の花が朽ちゆく瞬間を印画紙に焼き付けた。
2023年9月27日

金子佳代 個展「A VIEW BEYOND」

展覧会概要 生い立ちを知らない絵を引き取り、手を加えた。 絵を木に例えるならば 剪定程度から、大掛かりな伐採、接木、植え替え 種をもらって別の鉢で新たに育てるなど あの手この手を施して、その絵の先を見ようとした。 絵具がひび割れ始めた古い絵も、新鮮な空気と水を吸うと 思わぬ方へ伸びていった。
2023年9月13日

一葉+彩乃「ポップなパターン」

展覧会概要 主に、一葉は家族を被写体に、彩乃は自分を被写体として、写真を撮りながら生活をしている作家です。 一人一台スマートフォンを持つ時代に、「写真を続ける」とはどういうことなのか定義が難しいですが、「写真の展示をすること」が一つの答えになればいいと思い、今回の展示となりました。それぞれ主題は異なりますが、自分と社会(他者)との間にある何かを埋めるために、写真を撮り続けているのが私たちの共通点かなと思っています。 被写体と撮影者である作家とその周りの環境を主に撮影した写真は、とても個人的な関係性が写るように見えるかもしれません。ただ、時々その中に、外の世界とつながるきっかけとなるシーンを繰り広げてくれることがあります。 他愛もない生活の中の、他愛あるシーンを積み重ねてできた写真作品を「ポップなパターン」として展示します。外の世界と共有される「ポップ」として撮影された写真をお楽しみください。
2023年7月26日

リー・オタワ 個展「(still life)s」

展覧会概要 「静物画」は “still life” と訳される。 「静物画」というジャンルにとくに執着は無いけれど、“still life” という言葉の響きは、「ただ生きている。」、「じっと生きている。」、「まだ生きている。」、「静かに生きている。」といったニュアンスを伴って、自身の頭の片隅にとどまり続けている。 だからどうということもなく、当たり前のように、言葉は「絵」に追いつかない。 それでも日々、 何かを見えるものにしようとしたり、何かを触れることのできる形にしようとする欲望や行為は、 ひとつの単語だったり、頭の中をかすめては繰り返し戻ってくるようなフレーズだったり、 ごくごく個人的な領域で、ささやかに発熱し続けているような、 わざとらしくない、 いくつかのシンプルな言葉と関係している、という実感がある。 そんな言葉のひとつが、自身にとっては “still life” という言葉なのだろう。
2023年7月19日

若山忠毅 個展「パスとエッジ ー野生と園芸の地理学ー」

展覧会概要 田畑や雑木林が宅地や道路に変わる状況は日本の都市郊外においてどこにでも見受けられるだろう。 該当地域の自治体などは、土地に対する一定の条例や規制をかけて景観の保全を担保するものの、不動産デベロッパーの介在によって無秩序な宅地造成が進められてしまうのが実のところである。 こうした状況は土地固有の社会的背景を希薄化する要因であり美しさというものがまるでない。さらには土着的な規範のようなものを破綻させ、空間と空間の分断を促しているように思える。 もともとそこにあった風景に代わる空間の特性をパスとエッジという境界にまつわる要素を手がかりに撮影をする。すると現れてきたのは野生と人工の事物が入り混じった奇妙な均衡のうえに成り立つ風景であった。
2023年7月5日

紺田達也 個展 [ l /d ; to do ]

展覧会概要 “ロンの開腹手術が決まった後の晴れた週末。僕はロンを写した”“海の底から登ってくる呼吸の泡”“彼女の消えいりそうな背中を見るのが好きだった” [ l / d ; to do ]は僕が死生観を強く感じた時に写したものを集めた。写真の中では生も死も関係なくそこに存在する。私はそんな写真の中で生きていたい。
2023年6月28日

新山清 写真展「松山にて」

展覧会概要 新山清は1911年、愛媛県に生まれました。1969年に不慮の死を遂げるまで、戦前から戦後を通して充実した写真作品の発表を続けていました。近年でもさまざまな場所でその作品を観覧できる企画が設けられており、新山清が残した写真群への関心はますます高まっているということができます。 Alt_Mediumにて開催される本展覧会では、新山清が戦後の約7年間に、故郷である愛媛県の松山で撮影した写真群を出陳いたします。 新山清の子息であり、その写真アーカイブを管理する新山洋一氏は、本展出陳作を「松山時代」と呼び、そこにあらわされた屈託のないまなざしにとりわけ愛着を持っていると語っています。現在では主観主義写真の代表的な実践者としても知られる新山清ですが、松山時代の諸作からは、美的な趣味判断のみにとどまらず、その土地の様子やそこに生きる人々の営みを率直に記録することへの関心が窺われます。そのことは、もしかしたら、さまざまな破壊や喪失によって塗り込められてしまった戦争という時代の経験、そして、そのような状況からついに解放されたことへの喜びによって、裏打ちされていたのかもしれません。 この機会に […]
2023年6月14日

qp個展「花の絵」

展覧会概要 qpは2000年代中盤より活動を始め、現在はおもに画家として制作を行っている。 「明るさ」(2020年)、「紙の上の音楽」(2022年)に続くAlt_Mediumでの個展「花の絵」(2023年)は、タイトル通り花をテーマとしている。 「明るさ」以降、水彩画が制作の中心となっているが、qpの水彩画は筆を極力使用せず、スポイトや紙の切れ端を用いる独自の手法である。今作「花の絵」では、筆を使わない技法がさらに徹底されている。 また花を描く際、現実のそれを見て写すことはせず、即興的に描写される単純な図形を組み合わせ、重ねられ、花に見立てられる。花は、多くの場合ただ一輪ではなくいくつも描かれる。いくつも描かれること、並べることによって生まれる音楽的なリズムに関心を向ける。 野生の花は、風や虫によってたまたま種が運ばれ、ランダムな場所に咲き群生していくが、qpの花も、野生のような作為のなさで紙を埋める。そうして、紙の上に散らばった花の色と形が響き合いながら、喜びを湛えた小さな世界を作るだろう。 今回の個展に合わせ、作品集「花の絵」(DOOKS)が刊行される。