2024年3月6日

砂田紗彩 個展「つきのうみ」

⒈ 臍には多様性に富んだ微生物がいる。 生まれ育った土地にはいない、異国の土地でしか見つかったことのない細菌。本来は海底や火山のような極限状態にある場所で生きているはずのバクテリア。なぜ人の臍で見つかったのかわからないものも数多くあるそうだ。 ⒉ 子供の頃罹った病のあと、体に潜んで時折表に顔を見せるウイルス。とっくに忘れてしまった痛みを、神経を焼くようなちりちりとした感覚で思い出させる。 わたしの体のうち、人らしいところは10%しかなく、90%の微細なものとともに体を維持して生きている。体内に潜む不調の原因も、忘却も、揺らぐ原因は多少なりとも私のものではなく、 どこか遠くから、世代を変えながら移り住んできたものの存在で、わたしはここにこうして生きている。この体は地面と等しく微細なものが存在することができる場所である。 遠くどこかに思いを巡らせながら、わたしはわたしの体と、そこに生きている微細なものを写している。
2024年2月28日

菊地真之 写真展「WOVEN」

展覧会概要  タイトルの「WOVEN」とは、織られた、編み込まれた、という意味です。 私がシャッターを切ると、液晶ファインダーの中で世界は停止します。しかし、ファインダーから目を離すと、私は世界が相変らず持続しているのを見ます。キラキラと光っている葉っぱに目が入ったそのすぐ後に、離れたところにある苔を包む柔らかい光に目がいき、そしてすぐにまた別のところに視線が移る。「瞬間あるいは時間がそれらの現れ方にかかわってくるまで」*1 少し歩き、遠くを見る、近くを見る。私が感じる〈いまここ〉には、時間の持続、空間の広がりや奥行きの心地よさ、多幸感のようなものが含まれています。私の眼はさまざまなものを探索して、点から点へ、ここからむこうへ、壁から壁へ、写真から写真へ、ページからページへ動きます。「私が物に追いつき、物に到達しうるためには、それを〈見る〉だけで十分なのであって、見るということが神経機構の中でどのようにして起こるのかなどということは知らなくてもかまわない」*2 のです。 過ぎ去るものであるからこそ普遍的に存在する、一回的で持続的な不可思議な遠さ。空間と時間の織りなす不可思議な織物として […]
2024年2月21日

沢田勝信 写真展「E駅のプラットホーム」

展覧会概要 大規模な改装工事が終わったE駅は、雨が降るとプラットホームの至る所に風変わりな染みができるようになった。それはまるで、日頃隠れている異世界が表層に現れたようだった。そこには、いかがわしくも、どこか純粋で無邪気な、得体のしれない奴らが、ぶよぶよじゃりじゃりと蠢いていた。そいつらが眼の前に現れると、ただただ愉快で、その度に写真に収めた。
2024年2月7日

上條正名 写真展「夢の跡 − After the Thrill is Gone」

「夏草や兵どもが夢の跡」  旅の始まりは名栗川を遡った娯楽施設(今となってはどこか解らないが)の朽ちた建物。 以来私の撮影は営業を止めたドライブイン(それに近い建物も)を探す旅「私の夢の跡」となった。 − 上條正名
2024年1月24日

藤島茂雄 写真展「静かな生活」

スナップを中心としたカラー写真を展示。 タイトル「静かな生活」は大江健三郎の同名小説から拝借したものであり、 また、”静物写真”を意味する「still life」を直訳した言葉でもある。 今回の個展に合わせ、展示作品を収めた写真集「stilllife」を発行する。