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2025年2月12日

shimadamasafumi 個展「Archives」

——知るということ。それは、取り返しのつかないことである。 「写真を見ている」という状況は、写真を見ながら物事を考えられる唯一の機会である。写真に写る景色の壮大さ、波の繊細さ、空気の奥行き、サイズ感、関係、質感、思いなど。瞬きをすることさえ惜しく、目線を逸らした瞬間から記憶という虚像に覆われていく。慌てて目線を戻しても覆われた部分がめくれることはなく新たな認識で上書きすることしかできない。 さっきまで写真を見ながら考えていた内容は覚えていても「見ていた写真」は記憶の彼方で形を失い、(今再び)「見ている写真」に先ほどの記憶を当てはめてしまう。  このように、見ているものは一瞬のうちに見たものとなり、見たものは一瞬のうちに得体の知り得ないものへと変化していく。そして、我々はこの抽象度でものを見て、他者と共有し、それを考えているのではないだろうか。  もしかすると「そこにあるのは〇〇の写真らしい」という(漠然とした)情報で、十分なのかもしれない。
2025年1月29日

篠田 優個展「Garden|Medium」

篠田優は東京を中心に展覧会や作品集の出版を精力的におこなっています。写真作品だけにとどまらず、近年はその活動を映像作品の制作や上映へと広げています。 本展覧会「Garden | Medium」に出展される作品の構想は、篠田が2023年に逝去した写真家の飯田鉄から一箱のフィルムを譲り受けたことに端を発します。篠田はそのフィルムを使用して、同じく譲り受けた蔵書や、初めて交わした会話の内容でもあった南房総の土地を撮影しています。大判フィルムの密着印画によって黒い縁取りをもってあらわれるイメージは、生前に飯田が篠田に話した「庭」という写真のあり方を探求するものでもあります。それらを通じて篠田は、作品制作と切り離し難いコンセプトというものを、想いに形式を与える行為として、とらえなおそうと試みているのです。
2025年1月27日

田代つかさ 個展「Ghost, my ghost.」

カメラを持ってふらふらと歩いていると、思っているより周りの人々は自分のことなんて視界に入れていないことに気付く。 知らない誰かの風景の一部として漂っているに過ぎない。そう思いながらその風景の中にひっそりと潜んでいるイメージを写真によって露わにする。 写真を通して現実と対面した時、初めてその異質さ、不安定さを知ることがある。 たまたま写り込んでしまった/知らないものが写ってしまったことへの恐怖か? その感覚に襲われた瞬間、これまで自分が信じていた認識は亀裂が入ったように、突如として頼りないものとなる。 不意打ちで見えていなかったものが見えてしまった瞬間は、幽霊(のようなもの)を見たかもしれない、と心臓が一気に冷えていく感覚と近い。 見ようとしていなかっただけで偏在している。そしてそれに気づく入り口というのは突然、事故のように訪れる。 その時見ているのは己の中の幽霊か?
2025年1月26日

波多野祐貴 個展「接触と沈殿」

展覧会概要 いつもの振る舞いを制限され、他者にも容易には会えなくなったことで、その頃のわたしは憂鬱な気持ちを抱えていた。ひとりになれる場所がほしくて、静かな場所の古い家屋の中に小さな部屋を借りた。それはひどく寒い季節が始まる頃の話で、次の寒い季節が来るまで続いた。ここに並ぶのはその部屋を訪れてくれた人物、そして同じ時期に出会った風景と事物のポートレイトである。 部屋の訪問者たちとは初対面で、まずは挨拶を交わし、穏やかな雰囲気の中で撮影が始まる。そこには少しばかりの緊張と居心地の悪さも交じっていただろう。撮影のあいだも色々な話をする。まるで短い物語を聞くかのような時間もあった。しかし誰かのことを思い出そうとする時に思い浮かぶのは、耳底に沈む声の響き、瞬きひとつで移ろう表情の行方、あるいは窓から差し込む光が床の表面に残す、体温にも似た温かさだ。それらはあまりに微細な事柄で、曖昧で、日常生活の中で掻き消されてしまう他者の感触を含んでいる。必ずしも写真に記録されるわけではないそれらが、見る人の中で呼び起こされたら良いと思う。 ※2025年3月1日(土)はトークイベント開催につき、17:30以降 […]
2025年1月25日

YAMAGUCHI MITSURU 個展「MASSES」

展覧会概要 サラリーマンフォトグラファーである私の作品は、通勤途中をメインに都市の中をうごめく群衆(MASSES)をモチーフとして日常の風景を撮影しているストリートスナップです。 駅やターミナル周辺は多くの通勤客やインバウンドたちが行き交い群衆を肌で感じる空間、群衆分子の一人でもある私はその渦の中で感じるままにシャッターを切っています。そこに映し出された人たちはそれぞれの目的地に向かい表情や人種、姿は十人十色、そして撮った瞬間は二度と出会うことがない景色です。作品を見るあなたには作者も気づかない新たな発見があるかもしれません。現代都市の一瞬の風景を楽しんでいただけたら嬉しいです。
2025年1月24日

米田有甫 個展「ディマ」

 ものを「置く」「選ぶ」「移動させる」などといった、形の現れ方を変化させるための基礎的な操作に注目し、そうした操作そのものや、一定の操作による結果としての造形の単位を、強調したり反復したりする手法を試みています。  自動車による長距離の移動や遠隔地への滞在を行いながら、一定の指針による造形操作を繰り返した、野外制作を展示します。土地を通過したり土地に滞留したりする私の身体を、いくつかの造形操作によって緩やかに拘束することで、それらが生じました。操作は、多く意識を手元に引き留め、遠景を見ることを許しません。近くを見て辿りながら遠くへ行くと、遠景は、しばしば生活上の連続的な近景として見えました。
2025年1月23日

「現想世界展」

展覧会概要 「現実世界に存在するもの」「想像から生まれるもの」 2つを掛け合わせて描くところは似ている でも、つかう物も、あらわれる形も違う そんな二人の作品を比べて、感じて、楽しんでいただけたら幸いです
2025年1月22日

横村葵 個展「出会うは何色」

横村は色面や線で画面を構成し、そのコンポジションそのもの作品にしています。 もともと自身の部屋に飾る目的で作られた作品たち。 調和が取れるまで調整を重ねられた色と構図。 絵を見てくれる方の存在も少し考えつつになりましたが、 基本今も関係性を変えず、部屋で作家とともに過ごしています。 Alt_Mediumでは6年ぶりの個展になります。 大小取り混ぜた作品をぜひ自然光あふれるギャラリーでお楽しみください。
2025年1月20日

中村 晃 写真展「continuum」

呼吸。 それは、生命の律動が内と外をつなぐ行為であり、 存在がその場に根を張るためのリズムである。 酸素を取り込み、内なる世界へ送り込み、それを放出して外界と交わる。 吸うことは可能性を迎え入れることであり、吐くことは不要なものを手放すこと。 こうして生命は絶え間なく循環し、静けさと活力の間を行き来している。 酸素は見えないながらも確かな存在感を持ち、 体と心を結ぶ大切な要素として 存在そのものの根源的な営みを象徴している。 近年、大気汚染が進み、ウィルスが蔓延したことで、その透明な世界を曇らせた。 工場からの煙、車の排気ガス、それらが空気に不純物を混ぜ、無色の酸素の清らかさを蝕んでいる。 澄み切った空を仰ぐ機会が減るほどに、私たちは初めてその大切さに気づき始める。特にコロナ禍を経験したことによって、 無意識に行っていた呼吸をするという行為が意識されるようになり、再び酸素の尊さが心に浮かび上がった。 マスク越しの息苦しさの中、酸素がもたらす心と身体の安らぎ。 当たり前に呼吸が出来る幸せ。 必要不可欠である酸素が空気に満ちている幸せ。 それは、私たち人間が永遠に守るべきものであり、日々感謝すべきものである。