2026年10月28日

「リュックサック」

本展覧会は、坂口実花、西澤慶隼、松井響生、矢作唯夏によるグループ展です。 同じ予備校で1年間を過ごした4人は、毎日リュックサックに荷物をつめて学校に行き、絵を描きました。 同じ場所にいながらも、持っていくものや持ち帰ってくるものは人によって違います。 家と学校、朝と夜、自分と周囲を行き来し、互いの要素を持ち寄りながら、日々の暮らしが形づくられていきます。 今回の展示では、リュックサックの中身を見せ合うかのように、それぞれの生活を振り返って並べます。
2026年10月22日

工藤麻紀子、白 二人展「友人と絵を描く」

絵が描けなかった時期があって、その頃白と知り合った。 私が手をつけられなくなっていた絵の前で、絵を描くことを勧めた。 白は初めての油絵をまあまあ大きめの、50号の絵を描いた。 サラサラと絵があっという間にできた、瑞々しくて、すーっと視界が開けるような心地よさがありました。 その後も色々助けてもらったり、遊んだり、話したり、一緒に絵を描きました。 去年一昨年の個展の制作の合間に、私の人生とかについて話してそこから、絵のテーマを決めてくれて、それをいっしょに5枚の絵にしました。
2026年10月15日

岩崎 美ゆき 個展「きみの海は不可侵」

岩崎美ゆきの作品はデビューより一貫して、直裁に風景を写しとる硬質なストレートフォトグラフィーによって構成されています。 深い被写界深度で撮影された写真は、画面の隅々までピントが合うことにより、かえってそれを見る者の眼差しを画面上に彷徨わせるようです。 本展覧会は2025年5月にArt-space TARN(奈良)で開催されたジュエリー作家ambervacanceとの2人展「Utopia」の内容を新たに再構成したものになります。 着実に作品の発表を続ける写真家の現在形をぜひご覧ください。
2026年10月14日

佐藤愛美 個展「Drawing the human」

展覧会概要 いつからか失敗を恐れて描くという行為に対して能動的に動けなくなってしまった。 全く何もできない日が多くなった。 キャンバス上で油絵具を引きずったり、押し付ける行為は偶然性が強く、結果が読めずひどくストレスを与える。 ただ、苦しみもがいた中に光るものが出てくる。 論理つけられ構成されて完成する作品という概念を捨て、行為に挑む。 そしてその経過が、絵画であり、血であり、“身体”を表している。 − 佐藤愛美
2026年10月14日

髙松 光 個展「ある出来事のほどけかた」

声を発すること、紙を折ること、触れること。身体に結びついたこれらの出来事は、録音、反復、写し取りという別の過程を通過することで、もとの身体や場面とのあいだに距離を生じさせる。声は聞かれないまま字幕として現れ、折られる紙には時間が厚みとして積もる。日々触れていた一点は、紙の束へ移される。 その変換の意味を説明するのではなく、出来事が別のかたちへほどけていく途中を、この場に置いている。
2026年10月13日

岩男 涼 個展 「A Thin Cage」

展覧会概要 都市に生きる私たちの社会は、見えない監獄である。同時に、家庭のしがらみが本来の自分を囚えている。社会に合わせて生きるうちに、純粋な心は失われていく。本展は、写真を中心に、その社会構造を空間全体で示すインスタレーションである。
2026年10月12日

篠塚朋子 個展「くちぶえ と ためいき|whistle and sigh」

同じ世界で暮らしていても、見ている景色が違うのだなと感じることがある。 そして今、同じ時を過ごしている人も、これまでに見てきた景色は違うのだということもわかる。 波だった心の水面を静かに戻すように、線と色をひく。 遠くの景色を思い浮かべると、今ここが少し軽くなるような気がする。
2026年10月11日

馬渕一樹 個展「遅刻の天国生まれ」

展覧会概要 展示の説明の代わりに短い話を書きました。タイトル通り展示の絵とは関わりはないですが、展示のことを考えながら書きました。気が向いた方はぼんやりとでも読んでもらえれば幸いです。 ●「展示されるすべての絵とは関わりのない文章」
2026年9月30日

篠田 優 個展「Garden」

本展覧会に並ぶ写真はすべてモノクロームのフィルムで撮影されています。篠田が出展作の撮影に使用したそれは、親交のあった写真家の飯田鉄(1948-2023)より譲られたものでした。被写体は主に二つのまとまりへと分けることができます。ひとつは飯田が撮影地として愛着を持っていた場所の風景。そして、飯田が自らの蔵書として集め、結果として篠田が譲り受けることになった書籍の姿です。 もしかしたらそれらの写真によって、言葉によるものとは異なるかたちで描き出されるのは、いまもまだ去ることのない写真家の、やわらかな後ろ姿なのかもしれません。
2026年8月12日

角田響、内島芽海 二人展「どこへいくの」

“ギャラリーで写真を鑑賞する”という体験は、他者の記憶に向き合う瞬間です。 あなたの記憶に深く残る写真は、きっとここにはありません。 日々の喧騒に流されて、いずれ忘れてしまうから。 それでも、写真は壊れるまで、誰かの手に渡って、どこかに身を潜めて、見つめられる日を待っています。 データとしての写真が溢れる現代に 今一度、物質としての写真を見つめる機会を設けたいと感じています。 あなたが故郷に戻った時、本棚の、箪笥の奥の、蔵の中の、化粧台の2段目の引き出しの、奥に眠るアルバムをひらくことを祈って。
2026年8月5日

安武青架 個展「Silver Lining」

写真に取り組んで以来、東京の日常を撮影しています。最初の頃は生まれ育った地域やその周辺を撮影していましたが、次第に地図から心惹かれ撮影できそうな場所をみつけ、東京の様々な場所へと赴き撮影をしています。ここ数年《Stillness of Common Sights》と題した写真に取り組んできました。 慌ただしい東京の日常においても、わずかな時間ではありますが、静けさを感じる時があります。《Stillness of Common Sights》は東京の各所に撮影に行き、そういった日常における静かな時を、フィルムの中判カメラで撮り続けたものです。  今回もその一連の取り組みにおける写真の展示ですが、タイトルはEvery cloud has a silver lining.(どの雲も銀色の裏地がある / どんな場面にも希望やその兆し、よい面がある)という諺によっています。自分にとって心地よい風景を東京の各所に見出せたことは、大変意義深いことと思います。  《Stillness of Common Sights》は東京を撮影したものであり、人々の生活や在り様を感じられる風景であるとともに、私にとっては、ふと立ちどまるということ、見るだけでなく、聞く感じるといった感覚とともに、風景を前に自分自身に立ち返るときなのです。
2026年7月29日

shimadamasafumi 個展「C Record」

私の制作は一貫して、写真とは何か、そして私たちは写真に何を見ているのかという問いから始まっている。 初期には写真という媒体そのものの成立条件や、その表象のあり方に関心を向けてきた。 やがて関心は、写真に写された対象ではなく、写真が成立するための根源的な要素である光へと向かう。 その探求のなかで生まれた作品が「Photon」である。 「Photon」は、太陽光そのものを記録する試みとして制作された。 そこでは写真は何かを再現するための装置ではなく、光が存在したという事実を受け止める場として扱われている。 しかし、作品との遭遇によって生じるものは、光の記録だけではない。 鑑賞者の内側には、それぞれ異なる思考や観念が立ち上がる。 その現象への関心から展開されたのが「Conpton」である。 「Conpton」は、Photonと鑑賞者との関係のなかで生まれる思考の存在を捉えようとする試みであり、光から始まった探求を、人間の認識や観念の領域へと拡張する契機となった。 そして現在取り組んでいる「Conptons Record」は、その思考そのものを記録するためのシリーズである。 私にとってPhoton、Conpton、Conptons Recordは、それぞれ独立した作品群ではない。 光から始まった問いが、認識へ、そして思考の記録へと展開していく、一つの連続した実践である。 本展では、その連続する探求の現在地としてConptons Recordを発表する。