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2017年6月13日

木原千裕写真展「それは、愛?」

展覧会概要 被写体として映り込むのは、袈裟を纏いあどけなくも麗しい女性。彼女と出会い、交際した二年半のあいだ、シャッターを切り続けた。凜とした僧侶の顔、寝る時の素顔、指で触れた顔や手、身体。そして、涙を流す横顔。彼女を撮り続けた。 “女”と“女”が付き合うことが不自由な世界にあって、彼女たちの恋は、ちいさな光だった。 展示総数80枚を超える写真には、”セクシュアルマイノリティ”や”LGBTQ”といった現代社会で謳われる単語の概念を超えた、被写体に対する純然な愛情が浮かび上がる。 そこにあるのは、生身の人間と人間が向き合い、時にはぶつかり合い、ていねいに愛を育み過ごした日々の記録であり、おおげさではなく、世界を変える叫びである。
2017年5月30日

「Assembling Infinity_02」

展覧会概要 statement of Assembling Infinity 「Assembling Infinity」は一つの試みでもあります。それぞれの作家の個性(境界)がAlt_Mediumという場を媒介(Medium)として触れ合い、そこに何かの変化をもたらすことへの密やかな実験です。ある意味で偶然に出会った作品同士によって、予期できない場や空気が現れることを期待しています。 −Alt_Medium
2017年5月23日

「非回復性損傷」須藤祐太郎 / 近藤正也

展覧会概要 生命とは、つまるところ外界との矛盾だ。 だからこそ、存在に対する不信を放棄することはできない。 これらと私たちの絶対的な関係は、まさしく非回復性損傷である。 武蔵野美術大学須藤祐太郎近藤正也
2017年5月13日

菅泉亜沙子個展「かつて、まなざしの先に」

展覧会概要  菅泉亜沙子は東京を中心に活動している写真家です。本展覧会は菅泉も運営に参加している Alt_Medium での自身初めての個展となります。  菅泉の作品は一貫してモノクローム、スナップショットによって制作されています。特定のモチー フや場所に留まることのないその写真は、通過者の視線が持つ孤独感を感じさせます。写された存在はどれも、その瞬間の姿が失われる定めにあることを、そして写した者はそこを通り過ぎていく ことを、それらの写真は表しているようです。しかしそうした孤独感と共に、菅泉の写真にはどこか、既視感とは異なる懐かしさが漂っています。いつかどこかで見たというよりは、このような瞬間がかつてどこかにはあったのだと、そのような ことを思わせます。  それは私たちの内にある過去が、いまここにあるものを媒介として、浮かび上がってくる瞬間が あるからでしょうか。 この機会にぜひご高覧ください。 ーAlt_Medium
2017年4月25日

「Assembling Infinity」

展覧会概要 statement of Assembling Infinity 「Assembling Infinity」は一つの試みでもあります。それぞれの作家の個性(境界)がAlt_Mediumという場を媒介(Medium)として触れ合い、そこに何かの変化をもたらすことへの密やかな実験です。 ある意味で偶然に出会った作品同士によって、予期できない場や空気が現れることを期待しています。 −Alt_Medium
2017年4月4日

「ご近所フォトのススメ」

展覧会概要 Enjoy Photo Lesson STEP#2 「ご近所フォトのススメ」 写真家こばやしかをる指導のもと、遠くに行かなくても写真は撮れる!楽しい!を体験し、「ご近所フォト」をテーマに写真を学んだ「女性のためのデジカメ写真教室」1年生~3年生まで、 計12名による作品発表展です。カメラの機種にこだわることなく、花やスナップなど日々身近な環境で写真を撮ることの楽しさを表現しています。女性らしい視点で切り取った作品の中にそれぞれの世界観を感じていただければと思います。 【出展作家】いでかおる|小倉布美子|坪井有紀|中野智子|岩井裕子|横山明美|萩原定子|井上真紀|野口明子|渡辺伸子|宮崎洋子|林遊日子| 監修・指導:こばやしかをる
2017年3月26日

「Medium / in the air 」

展覧会概要 Alt_Mediumでは3月26日(Sun)17:30から「Medium / in the air」を開催いたします。 18時からは荻野亮一によるユニット「記憶の劇場」によるリサーチプロジェクトとして実行されるリーディング劇「最後の椅子」の<上演>が行われます(出演者:佐藤あおい/曽根千智/荻野亮一)。また20時からは加藤雅也による即興演奏と菊地敦子によるパフォーマンスが行われます。当日、会場の壁面には篠田優による写真作品などを展示いたします。 オルタナティブスペースという空間での視覚と聴覚を通じたささやかな実験になればと思っております。みなさま、是非ともご参加ください。 <「記憶の劇場」について> 最小限の演者と装置によっておこなわれる演劇のセッションと観客を交えたディスカッションのセッションを併せて、ひとつの「上演」として提示する荻野亮一によるリサーチプロジェクトです。 「記憶の劇場」は、社会における個人の過去/現在/未来にわたる「記憶」をキーワードに、21世紀の今日において、あえて愚直な「社会派」であることを標榜するユニットです。私たちはさまざまな社会的モチーフにまつ […]
2017年3月21日

東京工芸大学 写真学科フォトメディア研究室

展覧会概要 冒頭に「◯◯に捧ぐ」と記し、その作品を誰かを思い作る。本展覧会は各々が人だけに関わらず、映画や小説または時間や記憶など「捧ぐ」何かを設定し、製作した写真作品を展示します。 −東京工芸大学フォトメディア研究室 ※会場にて限定150部の展覧会図録を配布します。
2017年3月14日

内藤明個展「echo」

展覧会概要 レリーズの衝動。途絶えぬ耳鳴りのなかで妙なる響きを捉える。飛来していた光の粒が銀の粒子になるとき、あの時以上に神経を沸き立たせる調べ。長い間次なる響きを求め彷徨っている。この繰返し。 -内藤 明 ===  銀塩写真において、フィルム上に形成される像とは、被写体に触れた光に他ならない。そして、ネガポジ法のプリントプロセスにおいては、そのフィルムを透過した光により印画紙上に像が現れる。印画を見る私たちに届く光は、かつてここではない場所で被写体に触れた光とどのような関係があるのだろうか。さまざまな物質に媒介されながら光を遠くへと届けようとすること。写真の記録性とは、写真自体に深く刻まれた宿命だ。  内藤明は化学的な反応や、光学的な原理によって生成される銀塩写真の極めて即物的なあり方に深い造詣と探究心を持ち制作を行う。内藤の写真に焼きついた深い闇と眩しい光は、印画紙上の銀の粒子が束の間、見る者に呼び起こす幻視でもある。  しかし「いまこの場所で」が「かつてここでない場所で」になろうとも、たとえかつては触れることのできた笑顔が一枚の紙になろうとも、人はある瞬間を留めようとする。ある瞬 […]
2017年2月12日

喜多村みか 写真展「meta」

展覧会概要  100年後、ここに写っている人たちはもういない。もちろん、私もいない。 触知できない何かを感じられることが、写真の、とくに人が写っている写真の力でもあると思っている。写っているはずのない、入り交じった思いや、そこにあったかもしれない物語(あるいはそんなものはない)、残したいというノスタルジックな願い。これらを探してしまうとき、私はなんとも言えない気持ちに襲われて、なにか霊的な力すら感じることがある。そういった、写真の映画的な部分が私は好きだけれど、本当はそうしたものは写っていないとも思っているし、ましてやそのことを証明したいとはこれまであまり考えてこなかった。 蚤の市で目にするような100年前の誰かのポートレイト写真が魅力的であるいちばんの理由は(これまで重々語られている通り)被写体がすでにこの世にいないことだ。だとしたら、私が撮った写真も半ば自動的にその魅力を帯びていくのだろうか。そこに写っているものを超えて、ロラン・バルトの言葉を借りるならば「手に負えないもの」(ロラン・バルト『明るい部屋写真についての覚書』花輪光訳,みすず書房)たちが熟していくこともあるだろうか。つ […]
2017年1月15日

篠田優 写真展「写真へのメモランダム」

展覧会概要  篠田優は日本で活動している写真家です。2013 年の塩竈フォトフェスティバル写真賞大賞を受 賞し、その副賞として 2015 年には写真集「Medium」を発行しました。それに伴い東京を皮切り に、関西や東北、海外での展示活動も精力的に行っています。本展覧会は篠田が運営に関わるオル タナティブスペース Alt_Medium(オルトメディウム)においての開催となります。 本展覧会「写真へのメモランダム」において篠田は自身の手による文章を写真と共に展示します。 篠田は日々の中で写真を撮ると共に、写真についての思考をいくつもの手帳に綴ってきました。常 に写真と言葉の両者を用いて写真への問いを続けてきた篠田にとって、その両者を同じ空間に存在 させることは自然な流れでもありました。篠田はそれについて「よりリアリティのある在り方へと向かう試み」と述べています。 この機会にぜひご高覧ください。 Alt_Medium ===  私の内にあらわれるイメージは何かの姿をもった像(figure)であるように思う。 ときにその像は直接的に現実の存在を参照しないだろう。私は夢の中で誰とも呼べない人、 […]
2016年12月12日

岡江真一郎個展「それはそれは怪しい」

展覧会概要  岡江真一郎のアニメーション作品に明確な始まりと終わりを見出すことは難しい。まるで循環するかのように物語は完結しない。そこに描かれている存在は皆、感情が読み取れない表情をしている。無彩色で、虚構と呼んで突き放すには妙に生々しいその世界からは、場所としての強い個性も見いだすことが難しい。 登場人物たちは何をしようとしているのか、どうしてそんなことをしているのだろうか。その「何故」への答えはどこにも見つからない。覚えやすくどこか少し物悲しいメロディーに歌われる詩もそれを教えてはくれない。 だが、それでいいのだろう。どんな意味があるのかわからないものを繰り返しているのが私たちだ。どこかに答えがあるかもしれない。しかし、ないかもしれない。何となく表情も薄れ、意味も忘れて繰り返す行為がどこにも行き着かなくとも、まあどうでもいい。 Alt_Medium