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2025年11月19日

鈴木敦子 写真展「Appear」

この度鈴木敦子個展「Appear」を開催いたします。鈴木はこれまで記憶の痕跡とその外側にある世界を交差する〝内と外〟の境界から生じる揺らぎを写真撮影を通して作品にしてきました。前作の「lmitation Bijou」では自己と不確かな社会を含む 世界に対しての〝真と偽〟を模索し、その問いかけは変容しながら続いています。 鈴木は自身の作品撮影に対して「撮るというより、その場に立ち会うという感覚に近い...」「そこにあっ た体験を受けとり、ちがうものに変換して記憶に回帰させていくような行為...」と述べています。体験とは人が生きていく中で記憶として積み重なっていく精神と身体のレイヤーであり、その重なりや身体に微かに残る痕跡を通して現在の世界を見つめる事は、鈴木の作品の起点において重要な要素となっています。 今作のタイトルの「Appear」とは〝姿を現す〟同時に〝内なるものが外に表れる〟という意味を持ち、作者の作品に一貫して含まれている記憶と現実世界の狭間のような情景が感じられます。 目の前に確かに在る対象を見つめ、そこから影響を受けた時にシャッターを切ることで、その存在(と不在)を写真に表出する 試みから立ち現れたイメージは、知覚の本質のみならず物事の原初を内包し、意味や情報が瞬時に変換されてしまうこの世界の在り方を問いかけるようでもあります。
2025年11月6日

當麻 妙 写真展「TOTTORI」

當麻妙は東京郊外、沖縄、鳥取と移り住み、土地の風景を撮影してきた写真家である。 常にここが自分の場所であるという感覚はなく仮に暮らしているような気持ちのまま、少し引いた視点でその土地の姿を写し取ってきた。 今回の展示は鳥取に暮らすようになってから撮影された作品で構成される。 タイトルを英語表記するのは、過去の作品「Tamagawa」「KUDAKA」同様地名のもつ固有のイメージを薄める効果があり、少し引いたところからみつめた景色であることを示すためである。
2025年10月29日

三好祐介 個展「REMNANT16」

国道16号線は、24時間絶えず自動車が行き来する道でありながら、人の記憶に残らない無意識の場所として存在している。 国道16号線とは神奈川県横須賀市から千葉県富津市まで、首都圏を囲む総距離約340kmの環状線であり、これはその一部区間である千葉県野田市から八千代市周辺に至るまでの記録となる。 始点の横浜から横須賀、キャンプ座間のある相模原、村上龍の処女作「限りなく透明に近いブルー」の舞台にもなった東京都福生市などがある南西エリアは、敗戦後に米軍の影響を色濃く受けた歴史の蓄積があり、アメリカンカルチャーが根付いている。 今回撮影した北西エリアは、大規模な物流倉庫などの工業地帯が目立ち、建物間の距離が広く、よりモータリゼーションの影響を感じる造りとなっている。延々と平坦な風景が続いたかと思うと、忽然と大型商業施設が砂漠に点在するオアシスのように姿を現す。週末の午後を過ぎると家族連れのボックスカーが、さらに大きなブラックボックスのようなショッピングモールへと吸い込まれていく。店内では膨大な商品群とあらゆるサービスが整然と配置され、消費者の欲望を満たす。外からは内部の様子が見えず、中からも外の世界が見えない完全に閉じられた空間では、消費することだけが唯一の行為となる。 しかし消費空間の中心から離れてみると、再び空漠とした風景が眼前に広がる。無機的な送電鉄塔がそびえ立つ傍らには廃屋や古い住宅地が佇んでいる。生活の痕跡は見られるが、人とすれ違うことは滅多にない。時折高齢者を見かけるが、社交の場が存在しない道をふらつきながら歩く彼らは、目的を見失って路上を彷徨う孤立した存在のように見える。 はるか先にある次の商業地帯までの通過点となる長い線上には、他者との共同性が排除されたコミュニケーション不在の空間が続いている。
2025年10月15日

日向秀史 個展「Of Another Logic」

都市の片隅には、異なる背景や習わしを持つ営みが、ひとつの場所に折り重なっています。日向は、そうした場に宿る秩序を探るように、目の前の風景を淡々と写し取ってきました。 本展でも、昨年の展示「Japanese Motels」と同様、日本の風景の一特質を探求することを試みています。
2025年10月8日

道先潤 個展「My Dear Unknown Plants」

10年ほど前、引っ越しを機に植物を育て始めた。だんだんと種類は増え続け今も続いている。 私にとって植物は身近な存在となり、それ以来、自然に群生する植物にも興味を抱き始めた。 ある夜、壁に這う蔦を見た時に、単なる植物としてではない象徴的なイメージが芽生えた。 それは「ここで生きている」という感覚だ。そして、それは私たちも同じだということに結びついた。 その結びつきの根源を知りたくて、私はそれを身近な自然と、人との関わりの中で見つけていきたいと思った。 旭川と東京。二つの土地で写真を撮った。どちらも私にとって身近な土地だ。 通りすがりの人に声をかけ写真を撮らせてもらう。会話をして関わりを持っていく。 その繰り返しの中で、私の心象はとても明確なものとなっていった。 その土地で生きる人や植物だけでなく、そこに存在する無形化されたものについても考えるようになった。 ポートレート、植物、ランドスケープ。ここに写っている”ありふれたもの”たちが語りかけてくるものは、 「親しみ」と「人との関わり」についてだ。それは、身近でありふれた植物のように寄り添い温もりがある。 さまざまな環境や境遇の中、誰かと関わり触れていくことで「ここで生きている」という結びつきを得るのかもしれない。 撮影を通し、その根源に触れた感覚は得たように思う。 そして、すべては身近な範囲で結びつき、気づかぬ内に満たされていく…。
2025年10月1日

金子佳代 個展「NUI NUI」

縫い始めたきっかけは描かれたキャンバスのコラージュだった。子どもたちが学期始めに持っていく雑巾やカーテンは作っていたから、ミシンは持っていたし使えなくはなかった。でもそのくらいの技術しかない。 おずおずとミシンを制作に使いだすと、わたしにとってかなり利点が多い手段だと気づいた。 コラージュするとき接着剤で素材を貼り合わせると、再び剥がせばそれぞれが破れたり裂けたりする。しかしミシンで縫い合わせれば、糸さえ切ればあまりお互いが傷つかずに離れる。何度も作品をつくり直しながら制作していくわたしにとって、これはありがたい。 おまけ的に、絵を絵のまま立体にすることも可能になった。モチーフを切り抜いてすこしのふくらみを持たせると、突然モノとして存在しはじめる。おもしろい。立体制作に憧れつつそれが苦手なわたしの折衷策?になるかもしれない発見だった。 今回の展示では、ミシンを用いた過去作品のオリジナルと、この機にリメイクして生まれ変わった作品とを展示いたします。
2025年8月13日

山口光 個展「非同時性の肖像」

私たちが「自己」と呼ぶものは、果たして単一の時間軸に沿って、ひとつの像として存在しているのだろうか。それとも、それは絶えず分岐し、遅れ、歪みながら、複数の時間と文脈の中に断片化されているのではないだろうか。 本展では、異なる時間を内包する複数の映像装置を用いたインスタレーションを展開します。 それぞれ異なるタイムラグを持つモニターに浮かぶ像は、過去と現在がずれながら重なり合うことで視覚と記憶を揺さぶり、主体の輪郭を微かに曖昧にしていきます。不確かさから立ち上がる知覚の層は、私たちが「自己」と呼ぶものがいかにして構築され、また崩れていくのかを静かに浮かび上がらせます。
2025年8月6日

桑原仁太 個展「遥か近く誰そ彼」

日々、撮った写真を見返す中で、写真の中にある、痕跡や意思のみとして写る「誰か」の存在が、映っているもの以上に目につくように感じた。 写真そのものには様々な限りがあるが、鑑賞者である私と写真との間には、遥かな広がりがあるのだと思う。 私はその目の前に浮かぶ広がりの中にいる、誰か(あなた)のことを考えていたい。
2025年7月30日

中坪小鈴、別所波路 二人展「Counting Sheep」

展覧会概要 この度、初展示「CountingSheep」を開催します。本展では、「羊を数える」ような繰り返しの行為を通して、遠く曖昧な感覚をすくい取ろうとしています。 異なる素材や、それぞれの扱ってきた経験をもとに、「触れることで見る」「見ることで触れる」といった感覚に注目しながら制作しました。素材の持つ質感や、行為の中で生まれる細かな変化に目を向けた作品を展示しています。 ぜひ会場でご覧いただけたら幸いです。
2025年7月23日

有本理美 個展「ASSIMILATION」

本展では、「ASSIMILATION(同化)」をテーマに、映像を軸としたインスタレーションを発表します。 映る像が宿す“映像性”──イメージが立ち現れる現象そのもの──に着目し、視覚と知覚の間で生じる動きや移行の瞬間を見つめます。 映像と空間の関係において、複数のメディアを介して像が浮かび上がるとき、それぞれの映像性が同時に響き合い、ときにリピートされることで、どのような視差や重なりが立ち現れるのかを問い直します。
2025年7月16日

石毛健太郎 個展「偶察 / 視欲 / 律動 ー Serendipity / Gaze / Rhythm」

意図しない出会いは、視るという欲望を呼び起こす。 その視線の先にある都市のリズムと身体が、知らずに呼応していく。 そんな瞬間の記録。
2025年7月2日

岩田芽子 個展「開かれた庭」

本展では、とある都市公園についての記録を展示します。現代的な芝生広場や遊具が配置されたこの都市公園は、戦後の都市計画に基づき整備されてきました。一方で、周囲を取り囲む広大な雑木林や各所の構造物には、整備が始まる以前の姿が残されています。 本作の撮影は2015年頃に始まり、その過程で、当初は気づかれていなかったものへと対象を移すことで進められました。タイトルである「開かれた庭」は、自然の景観を模倣し、またはその要素を追求して十八世紀初頭のイギリスで確立された風景式庭園に着想を得ています。*1「記憶を記録する」というテーマからはじまった本作を、かつて壁に囲まれていた庭園が外の自然へと開かれ、新たな様式として成立した過程と重ね合わせることができると考えたからです。 ある場所に身を置き、何かが強く私の注意を惹くとき、それまで「気づかれていなかったもの」が風景として立ち上がってくるように感じています。撮影が「意のままにならないもの」を引き寄せる行為だとしたら、風景の経験とは、後戻りできないかたちで突然やってくる「他者」のようなものなのかもしれません。私の関心は、「気づかれていなかったもの」の想起や、あるいはそのはじまりの瞬間を提示することにあります。  *1 安西信一『イギリス風景式庭園の美学 〈開かれた庭〉のパラドックス』、東京大学出版会、2000年
2025年6月25日

佐藤浩作 個展「コーパスル(corpuscle)」

行われていない実験に、答えはありません。 量子力学は、この100年の間に、 私たちの世界観を根底から更新し続けてきました。 本展では、そうした量子論的な視座を手がかりに、 芸術を等して「相関」と「存在」の本質に触れ、 ”世界を繋ぐ粒子”としての芸術を提示します。