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2023年5月10日

佐々木かなえ 個展「風景は人間の顔のようなもの」

展覧会概要 変化が早い社会でなんとなく流れのままに生活していると、表面的な事しか認識していないような気分になることがある。その感覚をきっかけに、気になる事象をもとにして作品化を試みている。近年は現代社会と建造物に関連した作品を制作している。 本展のタイトルは、ジャン=リュック・ゴダール監督の「彼女について私が知っている二、三の事柄」で、主人公が語った言葉を引用している。1966年のパリは、首都圏拡張計画の一環で、公団住宅の大規模な建設工事が行われていた。この映画の主人公は、公団住宅で暮らす主婦。彼女の日常生活を描くことで、その背景にある社会問題を表現している。 普段なにげなく見ている建造物は、誰かが目的を持って作り上げたものだ。そこには人間の生活が投影されているのではないか。つまらないと感じる日常の景色も、あらためてよく見てみれば、惹きつけられるものがあると考えている。
2023年5月3日

原 杏奈 個展「mui」

展覧会概要 大学院を修了し丸6年が経過した。その間、近しいところで(もしくは遠いところの)人が生まれ、人が亡くなりゆくのを眺めていた。 スピードを上げ、めまぐるしく流れるように変化を続ける周囲や社会に、それでも変わることのない二重の風景を見出し、観察し、思考した結果を展覧する。 === ステートメント 2017 年の個展「境界の所在」において、物事や事象のあいだに存在する境界を探り、再認識する試みを発表した。境界は時に流動し、時に幻影であり、時に確固として動かぬものであった。 あれから 6 年が経った。その間に、親しい間柄の人間が亡くなり、また新しい命が生まれてくる様を目の当たりにした。子は成長する。ベランダの植物も日々健やかに、四季折々多様な表情をみせる。近所の用水路も天候により様相を変え、ハイウェイは曜日や時間帯で流れが異なる。 めまぐるしく変化を続ける周囲や社会に対して、私自身は何もできず、ただ日常を過ごした。 それでも私に構うことなく変化し続ける世界を眺めていると、変化の中にこそ、変わらぬ本質のようなものがあるのではないかと感じることがある。世界は二層、もしくは多層に重なり、目 […]
2023年4月26日

佐藤茉優花 個展「Le Printemps」

展覧会概要 初めまして。佐藤茉優花といいます。大学を卒業して1年が経ちました。1年前私は自分のことが分からなくなって、正しく自分を評価したり、評価されたりすることが怖くて、就活のエントリーシートが書けなくて、みんなが入社式の日、することがなくて泣きました。自分が苦しくない生き方が出来るように、そう思って好きだった花を扱う仕事と、少しだけ自信のあった人を撮る仕事を始めました。色々寄り道しながらも、なんとか、生きているみたいで。あ、あんまり実感はないんですけど。でも昔よりは目に見えるもの全部が鬱陶しいとか思わなくなりました。あれはどうしてだったんだろうな。 いま、風が吹いていますか?吹いてなかったらあなたの吐く息でも。それはどこまで行くんだろうって考えると彼ら、身軽でいいなって思いませんか?今回はそんな展示です。柔らかい風が吹く春みたいな展示がやりたいです。初めて生花をインスタレーションに織り交ぜた作品や、写真のアーカイブ、撮り下ろしの写真など展示します。 質量保存の法則とか、人は死んだらどうなるのかとか、そういう難しいことは分かんないし、社会のためになるような研究テーマもないです。私は私 […]
2023年4月19日

片柳拓子 個展「Relevant」

Relevant ステートメント どこに置き忘れたか思い出せなかった眼鏡は、職場の椅子の上にあった。いつもそんなところに置く訳ない場所にあったのだ。その時、必然があったから置いたのか?いや、どこに置き忘れたか思い出せないのだから無意識に置いたのだろう。置く場所が無かったからだろうか。いつもなら眼鏡が無いと不自由を感じるはずなのに、不自由を感じることなく、職場を離れた。眼鏡の不在による違和感は唐突にやってきて、世界が見えにくくなったのか、眼鏡の存在が大きくなる。脳内で行動を逆回転再生し、眼鏡の所在を探す。それでも見つからないので、脳内再生しながら身体を使い過去を追体験する。しかし、見つからない。脳内再生や身体的行為として探しても見つからないのは、過去に戻るのではなく未来に向かい新しい動線を描いているからだろう。つまり、無意識下に置ける物の喪失は、記憶不在であり、無かった・無いという現時点での事実だけが見えている。顔の一部とも言われることもある眼鏡の存在は、他者にとっては個を分類するマークとなる。ゆえに、分類マークが消えたとき、長年見慣れたはずであった他者の顔が、見知らぬ他者の存在になり動 […]
2023年4月5日

林朋奈 個展「JOY!」

展覧会概要 写真。写真。写真。写真!!!私の頭の中はいつも写真でいっぱいです。いつだって目は何か探しているし、日々のちょっとした変化でも「写真にどう影響するんやろ」とそんなことばかり考えてしまいます。登山家の山野井泰史さんが「山登りを知ったときから、ずっと発狂状態なんだ。」と仰っていたそうです。その言葉を夫から教えてもらった時、私も写真に出会ってからずっと発狂状態やああ。と激しい共感を覚えました。 私は撮影に行くのが大の苦手です。「写真を撮らなきゃ!!」と意気込んでしまい、自分のイメージや物語の範疇にある窮屈な写真を撮ってしまいます。そんな写真を見ていても目は全然喜んでくれないし、あーあ。自分のために写真を被写体を利用してしまったなあ。と虚しい気持ちになるだけです。なので私は、撮影に行きません。んじゃあどうやって写真を撮っているかというと、いたってシンプルで生きる日々の中でです。通勤しながら、お茶しながら、ぷらぷらと遊びながら…。意気込んでいない時の方が、あっ!っという光景を素直な気持ちで撮ることが出来ます。 それはなんだか不思議な感覚で、意識はしっかりとあるのに私の意思じゃないような […]
2023年3月22日

小林安祐美 個展「reflects of memory」

展覧会概要 服が無くてはならない存在になっている今の時代に、無くてもいい服の存在が多く見受けられることに違和感を抱いています。でもそれは、服が人々を魅了すると言う裏付けでもあります。自分のアイデンティティとなる、分身でもある服に愛着を持つことは必然なこと。服には持ち主の記憶や思い出、その全ての風景を内包していると信じているから。 自身は約7年間アパレルブランドでの販売員を経験し、幾つもの記憶の始まりに立ち会ってきました。その経験から得た二つの視点について、この7年間で撮影されたスナップ(他者)と、分身である服(自分)に本展覧会ではフォーカスを当てています。 自分の目で見た風景と、他者の目で見た風景は、同じ記憶として重なるのか。たとえ同じ時を過ごしても、思考や感情、時の流れの感じ方は違ったもの。もはや他者の風景に自分と言う存在がいないとも考えられてしまう。それでも自分の記憶には確かに在る。実態のないそれを実証してくれるのは、自分の分身である服たちなのかもしれない。 自分の目で見たもの、他者の目で見たもの、思考や感情、時の流れの感じ方が違ったとしても、私たちは同じ時を過ごし、同じ風景を見て […]
2023年2月8日

東京工芸大学 バライタファインプリントゼミ「MODERN MONOCHROME」

展覧会概要 現代においてデジタルが主流になり、また近年フィルムの値上がりなどを理由に銀塩から離れていく人が多くなっている。そのため銀塩を選択する理由は何か問われる。その中で私たちは、デジタルにはない銀塩独自の雰囲気に惹かれた。現代で銀塩を選択していくことは簡単ではない。そんな現代にモノクロバライタプリントで表現していこうとする学生の作品展です。
2023年2月1日

村越 慧 個展「Objet 」

展覧会概要 物の「形」を私たちはどのように見ているのでしょうか。日々触れて見ている気になっている存在も、じっくりと見る機会は少ないものです。物には光と影が輪郭と質感を宿しさまざまな立体のイメージが生まれます。身近なものをヒントにレンズを通して「形」に向き合うこのシリーズの第1弾は、卵による曲線の世界です。 4×5inch大判カメラとゼラチンシルバープリントの作品による展示です。
2022年12月21日

田代つかさ 個展「スペクトラム・アナライザー」

展覧会概要 スペクトラム・アナライザーとは、通信機器や無線機器において高周波の歪みやノイズを測定するための機械を表す名称である。 目の前の事象にシャッターを切るのも、日々浮かび上がる言葉を使って現実からの逸脱を求めることも、カメラという機械で・または自身という媒体を使って現実に潜むイメージを希求する行為のように思えた。 (まだ)不可視なものを、身体を使って計測する。 見えていなければ存在しないということではない。
2022年12月14日

鈴木瑛大 写真展「川を編む」

展覧会概要 雨が降る。悲しみの雨なんて、誰かが決めつけるのだろう。雨が川に落ちた時、水滴は川を潜る。光は水面を擦る。生きるという行為は、海を求めて流れる川そのものだった。まだ流れ着くことを知らない、雨の次の日。私はただひたすら喪失でも再生でもない何かで、川を編む。
2022年12月7日

加藤優里 個展「Breathe」

展覧会概要 呼吸をしている、たしかに生きている、と感じる被写体を目の前に わたしは大きく息をすいこみそれらの呼吸に耳をすますシャッターをきりふうっと息をはく それらがすってはいた空気をわたしもすってはいている。 写っているのは、生きもの、物体、景色と異なるけれどそれぞれに脈打つ自然の存在を感じる。 それらと向き合い同じ空気を共有するとき、わたしは強く生きていると感じる。
2022年11月30日

顧 夢 個展「ただよううた −La petite phrase−」

展覧会概要  本展では、日常生活で出会った断片的な詩のイメージを、写真で断片のままに再現することを試みる(*)。 *「断片」とは、様々な形を持っている。写真についていえば、それはときには、電車の窓から見えた一瞬の光景、ときには、写真が現像液のなかで印画紙のうえに現れている過程、ときには、ある写真をたまたま見かけたとき、見る人のなかで何かが蘇る瞬間…。「断片」は、一見バラバラのように見えるが、いろいろな時間を結びつける可能性をはらんでいる。 *「詩」とは、必ずしもアート、私自身の意志と表現に関係を持っているわけではない。それは、ただ名前の手前、出会いのなかに、ただよっている。時には、それを目で探す、時にはただそれを見かける。 === Statement 海を見るとき、時々自分が波の上に閃いている光であることを想像する。次の一秒、明日、来月、太陽と海水の動きにともなって、わたしはどこにどんな色と温度で現れるだろう。  そして、どんな風景が見えるだろう。  薄暗い身体のなかに閃いている快楽。その一粒の光の現れのために、私の身体が海になる(*)。 *「私の身体=私」ではない。私はただ、そこに、 […]