2022年10月19日
2022年10月19日
展覧会概要 田川基成は近年、故郷である長崎の海をテーマとした作品を発表。2022年日本写真協会新人賞を受賞するなど積極的な作家活動を続けています。Alt_Mediumで3回目の個展となる本展では、札幌をテーマとした新作の展示を行います。学生時代の6年間を北海道で過ごした田川は現在、記憶の中にある北海道を再びロードトリップしながら撮影を繰り返しています。この北海道全域を対象とした新シリーズの着想を得る以前、2016年頃から作家は雪に覆われた大都市、札幌の厳冬期の撮影を続けてきました。 九州の離島で育った田川が札幌に移り住んだ当初、長い冬と深い雪に囲まれる都市生活は「何から何まで新鮮な体験」だったと言います。やがて札幌で何度も冬を越すうちに、その風景は日常となっていきました。大学卒業後に東京に出て写真の道に進んだ本人は、ある冬、久々に真冬の札幌を訪れることになります。 年間降雪量が5メートルに迫る豪雪地帯でありながら、200万もの人が住む大都市は世界でも札幌だけであるという事実を知り、田川は改めてこの街に興味を持ちました。そして写真家となってはじめて見た冬の札幌の都市風景は、特別に印象深 […]
2022年10月5日
展覧会概要 家の前が河川敷になっている。草花や虫や鳥、散歩やジョギングをする人々、様々な生き物が行き交い、暮らしている。天候や季節の移り変わり、草の刈り取りや工事。自然の力や人間の手によって日々変動するこの場所を見ていると時間は何事もなく進むという至極当たり前のことを強く感じる。この河川敷に暮らす生き物と私の関係性には名前などなく、適切な言葉も思い浮かばない。ただそこにあるということが何物にも耐えがたいと思う。
2022年9月28日
展覧会概要 人間の目というのはいい加減だ。窓を見ようとしたとき、人は窓という先入観を持って、それを見る。窓枠の形、壁の汚れ、ガラスの反射。それらはノイズとして、知覚の外へと追いやられ、イメージとしての窓を見る。 カメラには、そのようなフィルターは搭載されていない。シャッターを切ったとき、レンズから入った光をそのまま記録する。肉眼では見えなかったノイズは、写真になったとき、初めてその姿を現す。
2022年9月14日
展覧会概要 2019年以来、当オルトメディウムにて意欲的に作品発表を継続している写真家飯田鉄が今回、「復元する鏡」―landscape paint-と題する写真展示を行います。明晰かつ精緻な撮影手法を用いながら、どこかに解体の脈動を内包する緊張感が飯田作品の特徴です。今回は1970年代なかばから1980年初頭にかけて撮影された写真群を展開いたします。制作年代としては旧作になりますが、最近作に通底する平明さのなかの謎かけとともに、初期作品のナイーブな感触が興味を呼びます。この機会に飯田鉄の前期作品をご高覧下さい。
2022年9月7日
展覧会概要 川崎祐は、家庭内写真と地方・郊外をテーマに、作品を制作してきた写真家です。2017年から発表を開始し、2019年に写真集にまとめられた『光景』シリーズは、地方における家族の風景を家父長制批判などの観点から捉え直す作品でした。 本展では川崎が2018年から撮影を続けてきた和歌山県新宮市で撮影された作品を展示します。聖地として知られるこの場所に通いながら川崎が関心を寄せたのは「荒地や空き地や住宅」などの風景でした。その継続的な撮影を通して川崎は、ありきたりな景色の中に「じぶんを縛り、恃みにもなってしまった風景」を見出します。さらにそれを他人に向けてひらこうとすることが、川崎の試みと言えるでしょう。 なお本展では写真作品に加えて、川崎が本展のために書き下ろしたテキスト(ステートメント)もあわせて配布します。 === このあいだ帰省したとき、むかしのじぶんが見えたんだ、とわたしに言ったのは懇意にしていた年上の知人だったが、当時(二十年ちかくまえのことだ)のかれは初老に差しかかっていて、大学進学を機に上京したひとでもあったから、そのときのかれに見えたかれは子どもか少年か少年と青年のあ […]
2022年8月24日
展覧会概要 この度、桑沢デザイン研究所 羽金知美ゼミによるグループ展「泳ぐ鳥」を開催いたします。 鳥は、空を泳ぐように軽やかに飛んでいます。泳ぐことは、見方によれば心地よいことでも、苦しいことでもあります。私たちは、日々写真を撮って考え続けています。 鳥はどこを目指して飛んでいるのでしょうか。私たちは何を目指して撮り続けているのか。 まだ途中だけれどいつか鳥のように飛べることを願って。 ゼミ生9人が泳いできた道のりと、それらが重なる時をご覧ください。
2022年8月17日
展覧会概要 なるめはピクセルアートの手法を用いる作家であり、1ピクセル幅の線にこだわった切れ味のいい輪郭やポップなキャラクター、鑑賞者の心に訴えかける情景が特徴の作家です。 なるめの作品の多くはデジタルイラストであり、ミュージックビデオへのイラスト提供や電子コミックなど、いずれもがディスプレイで鑑賞することができます。しかし、それらはデジタル作品でありながらリアルの場で鑑賞することでしかその魅力を十二分に体験することはできない不思議な作品となっています。 ディスプレイ上で作品の細部を見るためには作品を俯瞰的に見ることと引き換えに拡大しなければなりません。なるめの作品は、そこに描かれた情景はもちろんのことですが、それを構成するドットの美しさも大きな魅力であり、リアルの場に現れた作品は「木を見て森を見る」ことが出来ないデジタル空間とは全く異なる鑑賞体験を見るものに与えるのです。 なるめの個展は2021年12月より8か月振りとなりますが、その間の様々な制作や漫画連載を通じ、その作品は着実に進化しています。これまで「ピクセルアートの枠」を意識しピクセルアートの作法を「守」ってきたなるめですが、 […]
2022年7月13日
展覧会概要 動植物に関心の持つ同世代の作家、廣瀬祥大と川口蓮による展覧会。 廣瀬は「クニマス」が生息していた秋田県の田沢湖を収めた写真を展開する。クニマスは富国強兵を推進する国策や農業用水として引き入れられた玉川の酸性水に翻弄され、1940年を最後に姿を消した田沢湖固有のサケ科の淡水魚類である。 川口は福島原発事故後の避難指示区域で増殖したことが話題となった「セイタカアワダチソウ」を自作のマシンで動かすインスタレーション作品を制作する。
2022年6月29日
展覧会概要 qpは2000年代中盤より活動を始め、現在はおもに画家として制作を行っている。 2年前の個展「明るさ」(Alt_Medium)で発表された作品は、独自の手法を用いた、手のひらに乗るような小さなサイズの水彩画であった。今回の個展「紙の上の音楽」では、それ以降に描かれた新作が発表される。 今作において前面に出されたテーマは、絵における音楽の表現である。 同じ形を並べることによって生成されるリズム。どのような色を、どのような比率で組み合わせるかで変化するハーモニー。全体像を顧みず、瞬間の描画にまかせて生み出されるインプロヴィゼーション。 筆を使わない描画法も特徴的で、その手法によって描かれた丸や半円などの形を並べ、重ねることによって、装飾的な画面が作り出される。また水彩という、にじみが出来、同じものを描くことが困難な画材であえてパターンの実験を行う。 花という明確なモチーフが描かれることもある。なぜなら花のあり方も、パターンのあり方にとても近しい(同じ単位が反復される)からだ。 そうして、紙という薄い素材、ごく小さな画面の上で繰り広げられる、色と形の遊びのようなqpの作品は、ふた […]
2022年6月15日
展覧会概要 ここをまっすぐ歩いていくとたまに使うコンビニがあって、そこで右に曲がるとラーメン屋があったけどもう潰れた。左には元美容院の不動産屋があってその横に銭湯がある。坂を降りて左には祖母の家があって小学生まで住んでいた。右に曲がって真っ直ぐ行くとTくんの家があって、そこから左に曲がって坂がある通りを小学校の方へ歩いていく。公園を右に曲がって、団地を真っ直ぐ行くと、やっているのかわからない蕎麦屋がある。蕎麦屋のところを左に曲がって、すぐ右に曲がるとMくんの家がある。
2022年6月1日
展覧会概要 assignmentsは5人の写真家と1人のグラフィック・デザイナーから成るグループです。私たちは、ある写真家が主催するワークショップで出会いました。ワークショップは数年間のうち、違う空間、違うタイトルで数回開催されましたが、コンセプトは共通して「みんなで写真を考える」ことでした。毎回、出される課題に取り組み、写真について考える、そんな経験をかつて共有した者たちがコロナ禍で再び集まりました。普段は個々で活動する傍ら、assignmentsでは「グループだからできる”課題”」に取り組んでいます。この度の展示では、会うことなく一本のフィルムをメンバーで順番に回しながら撮影する多重露光プロジェクト、また、外出することができない時間に読んだ文学から改めて写真について考えた各々のプロジェクトを発表します。露光を重ねれば重ねるほど透き通ってゆくイメージの中で、目を凝らしてようやく見つけるそれぞれの日常の時間。そしてページをめくればめくるほど魅了されてゆく文学の世界の豊かさを見つける時間。別々の場所にあって個々が過ごした時間と、文学と写真について繰り返した思索を、一つの空間に集め、レイヤ […]
2022年5月18日
展覧会概要 生きていることを強く意識するときはあるだろうか。 忙しなくただ目の前のことをこなす日々では自分が地面にくっついてることも心臓が動いていることも気にすることはないだろう。(気にしていたらやっていけないので気にしない方が良い。) 指を切って初めて自分には指という細く別れたものが生えていて、その中には骨が通り肉が詰まっていて血が流れていることに気づく。 胃が痛くなって初めて自分の中には食べ物が通る袋があることを意識し、位置や大きさまで分かりそうなほどずっと動いて私という存在を生き物として動かしていることを知らしめる。 いつの日からかそんなことに惑わされ気にしないことができなくなり日常生活を送ることがつらくなったが、表現に変えることで、物として外に出すことで、人間であることを受け入れ、諦め、生きることに逆らわないようになった。 私の作品は作品という言葉も似合わないくらいただ私という人間が生きている間に残した跡の蓄積で外に排出したかった何かである。
2022年5月4日
展覧会概要 ゲージとは自分の編み目の緩さキツさを確認する作業のことを指す。10cm正方の中に縦横何目あるかを数え、自分の編み加減を確認し製図を行う。2020年4月に、新型コロナウイルス感染拡大による緊急事態宣言が発令された。私は仕事を休み、自宅待機をした。自宅でほとんどの時間を過ごすようになると、コロナ禍における不穏な日々の心と体の拮抗、内的意思とそれに伴う身体活動をログ化したいと思うようになった。 WEBで編み物の効能について調べた。「編み物をすると、脳の血流が増加し、前頭前野が活発に活動する。前頭前野は、想像力やコミュニケーション能力、記憶力を司る。ヒトの思考や創造性を担う脳の最高中枢である」と記載があった。 そこで私は、特別定額給付金10万円を使って毛糸を購入し、2020年4月28日(誕生日)から1年間棒針編みゲージを1日1枚編んで撮影することにした。そして都度撮影した写真 365枚をブロック連結させた。 深夜のテレビでは、信号を測定して品質を保持するために、カラーバーが表示される。自粛生活の中で、このゲージが私のカラーバーとなった。そして、繋ぎ合わせることで 1年間における心身 […]
2022年4月20日
impersonation 到着したら、とりあえず駅前のありふれたカフェに立ち寄り、温かいものを飲む。 温かいものを飲んでいるうちに、少しずつ街に馴染んでいくような気がするのだ。飲み終える頃には、私はその街の住人が着ているような空気をまとう。そして、あたかもその街の住人のような顔をして街を歩きだす。 その街に住んでいないと歩かない路地に迷い込んでみる。というよりも自ら街に迷いに行く。温かいものを飲みながらまとった街の空気は、「近所に住んでいそうな人」もしくは「新しく越してきたかもしれない人」といった立ち位置を演出する。 時折、人に見られている気配を感じて振り返ってみると、人ではなく猫に見つめられて ことがある。猫に見つめられていると思って振り返ると、そこには誰もいない。そこにあるのは物だけで、気配を探してあたりを見回すが、人影も動物の影も見えない。 そこに誰かがいたのかもしれない。しかし、その気配だけが私に触ってくるのである。そして、こちらを向けと囁くのだ。 そのうち自分がどのあたりを歩いているのかわからなくなり途方に暮れる。どこかにランドマークとなるようなものが見えるのではないかと遠 […]