2022年12月21日
2022年12月21日
展覧会概要 スペクトラム・アナライザーとは、通信機器や無線機器において高周波の歪みやノイズを測定するための機械を表す名称である。 目の前の事象にシャッターを切るのも、日々浮かび上がる言葉を使って現実からの逸脱を求めることも、カメラという機械で・または自身という媒体を使って現実に潜むイメージを希求する行為のように思えた。 (まだ)不可視なものを、身体を使って計測する。 見えていなければ存在しないということではない。
2022年12月14日
展覧会概要 雨が降る。悲しみの雨なんて、誰かが決めつけるのだろう。雨が川に落ちた時、水滴は川を潜る。光は水面を擦る。生きるという行為は、海を求めて流れる川そのものだった。まだ流れ着くことを知らない、雨の次の日。私はただひたすら喪失でも再生でもない何かで、川を編む。
2022年12月7日
展覧会概要 呼吸をしている、たしかに生きている、と感じる被写体を目の前に わたしは大きく息をすいこみそれらの呼吸に耳をすますシャッターをきりふうっと息をはく それらがすってはいた空気をわたしもすってはいている。 写っているのは、生きもの、物体、景色と異なるけれどそれぞれに脈打つ自然の存在を感じる。 それらと向き合い同じ空気を共有するとき、わたしは強く生きていると感じる。
2022年11月30日
展覧会概要 本展では、日常生活で出会った断片的な詩のイメージを、写真で断片のままに再現することを試みる(*)。 *「断片」とは、様々な形を持っている。写真についていえば、それはときには、電車の窓から見えた一瞬の光景、ときには、写真が現像液のなかで印画紙のうえに現れている過程、ときには、ある写真をたまたま見かけたとき、見る人のなかで何かが蘇る瞬間…。「断片」は、一見バラバラのように見えるが、いろいろな時間を結びつける可能性をはらんでいる。 *「詩」とは、必ずしもアート、私自身の意志と表現に関係を持っているわけではない。それは、ただ名前の手前、出会いのなかに、ただよっている。時には、それを目で探す、時にはただそれを見かける。 === Statement 海を見るとき、時々自分が波の上に閃いている光であることを想像する。次の一秒、明日、来月、太陽と海水の動きにともなって、わたしはどこにどんな色と温度で現れるだろう。 そして、どんな風景が見えるだろう。 薄暗い身体のなかに閃いている快楽。その一粒の光の現れのために、私の身体が海になる(*)。 *「私の身体=私」ではない。私はただ、そこに、 […]
2022年11月9日
作品概要 この作品は、2008年と2018年に東ヨーロッパ一帯(旧ソ連のウクライナやバルト三国、旧共産圏のポーランド、ハンガリー、スロバキア、ルーマニア、チェコ、ブルガリア、アルバニア、旧ユーゴスラビアのボスニア、クロアチアなど)を旅し撮影したスナップ写真を、ロシアによるウクライナ侵攻後の2022年の現在において改めて見直す中で、新たに見いだされてきた断片的なイメージを編集し制作しています。 1978年生まれの私にとって、幼い頃、繰り返し目にしたチョルノービリ原発事故、ベルリンの壁崩壊、ソ連の崩壊及び東欧の民主化、続いて起こったユーゴスラビア解体やボスニア紛争などの歴史的な事件の映像は、遥か遠く国の出来事でありながらリアルタイムにカタストロフと変革が同時進行していく事態として、またとりわけチョルノービリ事故やチャウセスク大統領殺害の映像などは恐ろしいディストピア的な映像としても記憶の縁にこびりついてきました。 2008年と2018年の撮影当時も、そうしたイメージをどこかにひきずりながら、歴史や暴力の痕跡を求めて都市や路上を歩き、その中を生きる人々や遭遇した光景を撮影していたことを思 […]
2022年10月26日
展覧会概要 かつて私は自己と他者について考えていたがすぐやめた。考えたところで他者は他者でしかないと思ったから。それと同時に目の前の風景はつまらない、或いは自分が興味を引いたものも他者から見たら大したことはないだろうと思うこともあった。目の前の風景はつまらなく見えるーーそれは自らを表しているようだった。ただ、そのつまらなさがいいと思うこともある。面白い、いや、つまらない。なんにもならないだろう。呪いともつかない、呪いにすらならないことを考えながら撮影した。 Roznyja inshjyja(ロズニィヤ・インシィヤ)とはベラルーシ語で「様々な他」を意味する。これは、ベラルーシ語がロシア語やウクライナ語に比べてあまり関心が持たれていないと言うことと、自分が今年の春にベラルーシを訪れたことがリンクして選ぶに至った。 ここに並べられている他者達の営みはやがて忘れ去られるかもしれないが、ただ、今だけは見ていてほしい。 2022年 田村虎之亮
2022年10月19日
展覧会概要 田川基成は近年、故郷である長崎の海をテーマとした作品を発表。2022年日本写真協会新人賞を受賞するなど積極的な作家活動を続けています。Alt_Mediumで3回目の個展となる本展では、札幌をテーマとした新作の展示を行います。学生時代の6年間を北海道で過ごした田川は現在、記憶の中にある北海道を再びロードトリップしながら撮影を繰り返しています。この北海道全域を対象とした新シリーズの着想を得る以前、2016年頃から作家は雪に覆われた大都市、札幌の厳冬期の撮影を続けてきました。 九州の離島で育った田川が札幌に移り住んだ当初、長い冬と深い雪に囲まれる都市生活は「何から何まで新鮮な体験」だったと言います。やがて札幌で何度も冬を越すうちに、その風景は日常となっていきました。大学卒業後に東京に出て写真の道に進んだ本人は、ある冬、久々に真冬の札幌を訪れることになります。 年間降雪量が5メートルに迫る豪雪地帯でありながら、200万もの人が住む大都市は世界でも札幌だけであるという事実を知り、田川は改めてこの街に興味を持ちました。そして写真家となってはじめて見た冬の札幌の都市風景は、特別に印象深 […]
2022年9月28日
展覧会概要 人間の目というのはいい加減だ。窓を見ようとしたとき、人は窓という先入観を持って、それを見る。窓枠の形、壁の汚れ、ガラスの反射。それらはノイズとして、知覚の外へと追いやられ、イメージとしての窓を見る。 カメラには、そのようなフィルターは搭載されていない。シャッターを切ったとき、レンズから入った光をそのまま記録する。肉眼では見えなかったノイズは、写真になったとき、初めてその姿を現す。
2022年9月14日
展覧会概要 2019年以来、当オルトメディウムにて意欲的に作品発表を継続している写真家飯田鉄が今回、「復元する鏡」―landscape paint-と題する写真展示を行います。明晰かつ精緻な撮影手法を用いながら、どこかに解体の脈動を内包する緊張感が飯田作品の特徴です。今回は1970年代なかばから1980年初頭にかけて撮影された写真群を展開いたします。制作年代としては旧作になりますが、最近作に通底する平明さのなかの謎かけとともに、初期作品のナイーブな感触が興味を呼びます。この機会に飯田鉄の前期作品をご高覧下さい。
2022年9月7日
展覧会概要 川崎祐は、家庭内写真と地方・郊外をテーマに、作品を制作してきた写真家です。2017年から発表を開始し、2019年に写真集にまとめられた『光景』シリーズは、地方における家族の風景を家父長制批判などの観点から捉え直す作品でした。 本展では川崎が2018年から撮影を続けてきた和歌山県新宮市で撮影された作品を展示します。聖地として知られるこの場所に通いながら川崎が関心を寄せたのは「荒地や空き地や住宅」などの風景でした。その継続的な撮影を通して川崎は、ありきたりな景色の中に「じぶんを縛り、恃みにもなってしまった風景」を見出します。さらにそれを他人に向けてひらこうとすることが、川崎の試みと言えるでしょう。 なお本展では写真作品に加えて、川崎が本展のために書き下ろしたテキスト(ステートメント)もあわせて配布します。 === このあいだ帰省したとき、むかしのじぶんが見えたんだ、とわたしに言ったのは懇意にしていた年上の知人だったが、当時(二十年ちかくまえのことだ)のかれは初老に差しかかっていて、大学進学を機に上京したひとでもあったから、そのときのかれに見えたかれは子どもか少年か少年と青年のあ […]
2022年8月24日
展覧会概要 この度、桑沢デザイン研究所 羽金知美ゼミによるグループ展「泳ぐ鳥」を開催いたします。 鳥は、空を泳ぐように軽やかに飛んでいます。泳ぐことは、見方によれば心地よいことでも、苦しいことでもあります。私たちは、日々写真を撮って考え続けています。 鳥はどこを目指して飛んでいるのでしょうか。私たちは何を目指して撮り続けているのか。 まだ途中だけれどいつか鳥のように飛べることを願って。 ゼミ生9人が泳いできた道のりと、それらが重なる時をご覧ください。
2022年7月13日
展覧会概要 動植物に関心の持つ同世代の作家、廣瀬祥大と川口蓮による展覧会。 廣瀬は「クニマス」が生息していた秋田県の田沢湖を収めた写真を展開する。クニマスは富国強兵を推進する国策や農業用水として引き入れられた玉川の酸性水に翻弄され、1940年を最後に姿を消した田沢湖固有のサケ科の淡水魚類である。 川口は福島原発事故後の避難指示区域で増殖したことが話題となった「セイタカアワダチソウ」を自作のマシンで動かすインスタレーション作品を制作する。
2022年6月1日
展覧会概要 assignmentsは5人の写真家と1人のグラフィック・デザイナーから成るグループです。私たちは、ある写真家が主催するワークショップで出会いました。ワークショップは数年間のうち、違う空間、違うタイトルで数回開催されましたが、コンセプトは共通して「みんなで写真を考える」ことでした。毎回、出される課題に取り組み、写真について考える、そんな経験をかつて共有した者たちがコロナ禍で再び集まりました。普段は個々で活動する傍ら、assignmentsでは「グループだからできる”課題”」に取り組んでいます。この度の展示では、会うことなく一本のフィルムをメンバーで順番に回しながら撮影する多重露光プロジェクト、また、外出することができない時間に読んだ文学から改めて写真について考えた各々のプロジェクトを発表します。露光を重ねれば重ねるほど透き通ってゆくイメージの中で、目を凝らしてようやく見つけるそれぞれの日常の時間。そしてページをめくればめくるほど魅了されてゆく文学の世界の豊かさを見つける時間。別々の場所にあって個々が過ごした時間と、文学と写真について繰り返した思索を、一つの空間に集め、レイヤ […]
2022年5月4日
展覧会概要 ゲージとは自分の編み目の緩さキツさを確認する作業のことを指す。10cm正方の中に縦横何目あるかを数え、自分の編み加減を確認し製図を行う。2020年4月に、新型コロナウイルス感染拡大による緊急事態宣言が発令された。私は仕事を休み、自宅待機をした。自宅でほとんどの時間を過ごすようになると、コロナ禍における不穏な日々の心と体の拮抗、内的意思とそれに伴う身体活動をログ化したいと思うようになった。 WEBで編み物の効能について調べた。「編み物をすると、脳の血流が増加し、前頭前野が活発に活動する。前頭前野は、想像力やコミュニケーション能力、記憶力を司る。ヒトの思考や創造性を担う脳の最高中枢である」と記載があった。 そこで私は、特別定額給付金10万円を使って毛糸を購入し、2020年4月28日(誕生日)から1年間棒針編みゲージを1日1枚編んで撮影することにした。そして都度撮影した写真 365枚をブロック連結させた。 深夜のテレビでは、信号を測定して品質を保持するために、カラーバーが表示される。自粛生活の中で、このゲージが私のカラーバーとなった。そして、繋ぎ合わせることで 1年間における心身 […]