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2022年11月9日

石川幸史 個展「Afterwards」

作品概要  この作品は、2008年と2018年に東ヨーロッパ一帯(旧ソ連のウクライナやバルト三国、旧共産圏のポーランド、ハンガリー、スロバキア、ルーマニア、チェコ、ブルガリア、アルバニア、旧ユーゴスラビアのボスニア、クロアチアなど)を旅し撮影したスナップ写真を、ロシアによるウクライナ侵攻後の2022年の現在において改めて見直す中で、新たに見いだされてきた断片的なイメージを編集し制作しています。  1978年生まれの私にとって、幼い頃、繰り返し目にしたチョルノービリ原発事故、ベルリンの壁崩壊、ソ連の崩壊及び東欧の民主化、続いて起こったユーゴスラビア解体やボスニア紛争などの歴史的な事件の映像は、遥か遠く国の出来事でありながらリアルタイムにカタストロフと変革が同時進行していく事態として、またとりわけチョルノービリ事故やチャウセスク大統領殺害の映像などは恐ろしいディストピア的な映像としても記憶の縁にこびりついてきました。 2008年と2018年の撮影当時も、そうしたイメージをどこかにひきずりながら、歴史や暴力の痕跡を求めて都市や路上を歩き、その中を生きる人々や遭遇した光景を撮影していたことを思 […]
2022年10月26日

田村虎之亮 写真展「Roznyja Inshjyja」

展覧会概要 かつて私は自己と他者について考えていたがすぐやめた。考えたところで他者は他者でしかないと思ったから。それと同時に目の前の風景はつまらない、或いは自分が興味を引いたものも他者から見たら大したことはないだろうと思うこともあった。目の前の風景はつまらなく見えるーーそれは自らを表しているようだった。ただ、そのつまらなさがいいと思うこともある。面白い、いや、つまらない。なんにもならないだろう。呪いともつかない、呪いにすらならないことを考えながら撮影した。 Roznyja inshjyja(ロズニィヤ・インシィヤ)とはベラルーシ語で「様々な他」を意味する。これは、ベラルーシ語がロシア語やウクライナ語に比べてあまり関心が持たれていないと言うことと、自分が今年の春にベラルーシを訪れたことがリンクして選ぶに至った。 ここに並べられている他者達の営みはやがて忘れ去られるかもしれないが、ただ、今だけは見ていてほしい。 2022年 田村虎之亮
2022年10月19日

田川基成 個展「SAPPORO SNOWSCAPE」

展覧会概要 田川基成は近年、故郷である長崎の海をテーマとした作品を発表。2022年日本写真協会新人賞を受賞するなど積極的な作家活動を続けています。Alt_Mediumで3回目の個展となる本展では、札幌をテーマとした新作の展示を行います。学生時代の6年間を北海道で過ごした田川は現在、記憶の中にある北海道を再びロードトリップしながら撮影を繰り返しています。この北海道全域を対象とした新シリーズの着想を得る以前、2016年頃から作家は雪に覆われた大都市、札幌の厳冬期の撮影を続けてきました。 九州の離島で育った田川が札幌に移り住んだ当初、長い冬と深い雪に囲まれる都市生活は「何から何まで新鮮な体験」だったと言います。やがて札幌で何度も冬を越すうちに、その風景は日常となっていきました。大学卒業後に東京に出て写真の道に進んだ本人は、ある冬、久々に真冬の札幌を訪れることになります。  年間降雪量が5メートルに迫る豪雪地帯でありながら、200万もの人が住む大都市は世界でも札幌だけであるという事実を知り、田川は改めてこの街に興味を持ちました。そして写真家となってはじめて見た冬の札幌の都市風景は、特別に印象深 […]
2022年9月28日

井上雄輔 個展「WINDOWS」

展覧会概要 人間の目というのはいい加減だ。窓を見ようとしたとき、人は窓という先入観を持って、それを見る。窓枠の形、壁の汚れ、ガラスの反射。それらはノイズとして、知覚の外へと追いやられ、イメージとしての窓を見る。 カメラには、そのようなフィルターは搭載されていない。シャッターを切ったとき、レンズから入った光をそのまま記録する。肉眼では見えなかったノイズは、写真になったとき、初めてその姿を現す。
2022年9月14日

飯田鉄 個展「復元する鏡」– landscape paint –

展覧会概要 2019年以来、当オルトメディウムにて意欲的に作品発表を継続している写真家飯田鉄が今回、「復元する鏡」―landscape paint-と題する写真展示を行います。明晰かつ精緻な撮影手法を用いながら、どこかに解体の脈動を内包する緊張感が飯田作品の特徴です。今回は1970年代なかばから1980年初頭にかけて撮影された写真群を展開いたします。制作年代としては旧作になりますが、最近作に通底する平明さのなかの謎かけとともに、初期作品のナイーブな感触が興味を呼びます。この機会に飯田鉄の前期作品をご高覧下さい。
2022年9月7日

川崎祐 個展「未成の周辺」

展覧会概要 川崎祐は、家庭内写真と地方・郊外をテーマに、作品を制作してきた写真家です。2017年から発表を開始し、2019年に写真集にまとめられた『光景』シリーズは、地方における家族の風景を家父長制批判などの観点から捉え直す作品でした。 本展では川崎が2018年から撮影を続けてきた和歌山県新宮市で撮影された作品を展示します。聖地として知られるこの場所に通いながら川崎が関心を寄せたのは「荒地や空き地や住宅」などの風景でした。その継続的な撮影を通して川崎は、ありきたりな景色の中に「じぶんを縛り、恃みにもなってしまった風景」を見出します。さらにそれを他人に向けてひらこうとすることが、川崎の試みと言えるでしょう。 なお本展では写真作品に加えて、川崎が本展のために書き下ろしたテキスト(ステートメント)もあわせて配布します。 === このあいだ帰省したとき、むかしのじぶんが見えたんだ、とわたしに言ったのは懇意にしていた年上の知人だったが、当時(二十年ちかくまえのことだ)のかれは初老に差しかかっていて、大学進学を機に上京したひとでもあったから、そのときのかれに見えたかれは子どもか少年か少年と青年のあ […]
2022年8月24日

2022年度 桑沢デザイン研究所 羽金知美ゼミ 写真展「泳ぐ鳥」

展覧会概要 この度、桑沢デザイン研究所 羽金知美ゼミによるグループ展「泳ぐ鳥」を開催いたします。 鳥は、空を泳ぐように軽やかに飛んでいます。泳ぐことは、見方によれば心地よいことでも、苦しいことでもあります。私たちは、日々写真を撮って考え続けています。 鳥はどこを目指して飛んでいるのでしょうか。私たちは何を目指して撮り続けているのか。 まだ途中だけれどいつか鳥のように飛べることを願って。 ゼミ生9人が泳いできた道のりと、それらが重なる時をご覧ください。
2022年7月13日

川口 蓮 / 廣瀬 祥大「paradise」より

展覧会概要 動植物に関心の持つ同世代の作家、廣瀬祥大と川口蓮による展覧会。 廣瀬は「クニマス」が生息していた秋田県の田沢湖を収めた写真を展開する。クニマスは富国強兵を推進する国策や農業用水として引き入れられた玉川の酸性水に翻弄され、1940年を最後に姿を消した田沢湖固有のサケ科の淡水魚類である。 川口は福島原発事故後の避難指示区域で増殖したことが話題となった「セイタカアワダチソウ」を自作のマシンで動かすインスタレーション作品を制作する。
2022年6月1日

assignments 「WRITING PHOTOS」

展覧会概要 assignmentsは5人の写真家と1人のグラフィック・デザイナーから成るグループです。私たちは、ある写真家が主催するワークショップで出会いました。ワークショップは数年間のうち、違う空間、違うタイトルで数回開催されましたが、コンセプトは共通して「みんなで写真を考える」ことでした。毎回、出される課題に取り組み、写真について考える、そんな経験をかつて共有した者たちがコロナ禍で再び集まりました。普段は個々で活動する傍ら、assignmentsでは「グループだからできる”課題”」に取り組んでいます。この度の展示では、会うことなく一本のフィルムをメンバーで順番に回しながら撮影する多重露光プロジェクト、また、外出することができない時間に読んだ文学から改めて写真について考えた各々のプロジェクトを発表します。露光を重ねれば重ねるほど透き通ってゆくイメージの中で、目を凝らしてようやく見つけるそれぞれの日常の時間。そしてページをめくればめくるほど魅了されてゆく文学の世界の豊かさを見つける時間。別々の場所にあって個々が過ごした時間と、文学と写真について繰り返した思索を、一つの空間に集め、レイヤ […]
2022年5月4日

イシダマイ 個展「gauge(2020-2021)」

展覧会概要 ゲージとは自分の編み目の緩さキツさを確認する作業のことを指す。10cm正方の中に縦横何目あるかを数え、自分の編み加減を確認し製図を行う。2020年4月に、新型コロナウイルス感染拡大による緊急事態宣言が発令された。私は仕事を休み、自宅待機をした。自宅でほとんどの時間を過ごすようになると、コロナ禍における不穏な日々の心と体の拮抗、内的意思とそれに伴う身体活動をログ化したいと思うようになった。 WEBで編み物の効能について調べた。「編み物をすると、脳の血流が増加し、前頭前野が活発に活動する。前頭前野は、想像力やコミュニケーション能力、記憶力を司る。ヒトの思考や創造性を担う脳の最高中枢である」と記載があった。 そこで私は、特別定額給付金10万円を使って毛糸を購入し、2020年4月28日(誕生日)から1年間棒針編みゲージを1日1枚編んで撮影することにした。そして都度撮影した写真 365枚をブロック連結させた。 深夜のテレビでは、信号を測定して品質を保持するために、カラーバーが表示される。自粛生活の中で、このゲージが私のカラーバーとなった。そして、繋ぎ合わせることで 1年間における心身 […]
2022年4月20日

片柳拓子 展「impersonation」

impersonation 到着したら、とりあえず駅前のありふれたカフェに立ち寄り、温かいものを飲む。 温かいものを飲んでいるうちに、少しずつ街に馴染んでいくような気がするのだ。飲み終える頃には、私はその街の住人が着ているような空気をまとう。そして、あたかもその街の住人のような顔をして街を歩きだす。 その街に住んでいないと歩かない路地に迷い込んでみる。というよりも自ら街に迷いに行く。温かいものを飲みながらまとった街の空気は、「近所に住んでいそうな人」もしくは「新しく越してきたかもしれない人」といった立ち位置を演出する。 時折、人に見られている気配を感じて振り返ってみると、人ではなく猫に見つめられて ことがある。猫に見つめられていると思って振り返ると、そこには誰もいない。そこにあるのは物だけで、気配を探してあたりを見回すが、人影も動物の影も見えない。 そこに誰かがいたのかもしれない。しかし、その気配だけが私に触ってくるのである。そして、こちらを向けと囁くのだ。 そのうち自分がどのあたりを歩いているのかわからなくなり途方に暮れる。どこかにランドマークとなるようなものが見えるのではないかと遠 […]
2022年3月23日

坂本政十賜 写真展「GENIUS LOCI 東北」

展覧会概要 坂本政十賜は展覧会や写真集のみならず、雑誌紙面を通じても継続的に作品発表をおこなっている練達の写真家です。近年ではアーティスト・コレクティブ「FŪKEI」の一員としても積極的に活動を展開しています。 坂本はキャリア初期から現在まで一貫して、卓抜なフレーミングと瞬間把握によって裏打ちされたストレートフォトグラフィーを基調とした作品を発表してきました。また同時に、そうした写真群は被写体を明瞭かつ正確に写し出すことから、すぐれた記録性を備えているといっても過言ではありません。本展覧会で発表される≪GENIUS LOCI東北≫にもそうした性質が余すことなく含まれています。 しかし、東北地方の家々を撮影した本作の、その実直かつ抑制的な画面からは、ことさらに強調された美的な操作や決定的瞬間を見出すことはできません。むしろ、被写体となった家のまえで静かに佇むという身振りを形象化したかのような寡黙な画面が、本展覧会には数多く出陳されます。そうしたイメージ群からは、東北の各地と坂本とのあいだに紡がれた交感の軌跡を、鑑賞者もまた見て辿ることができるでしょう。
2022年1月26日

佐方晴登 写真展「Dead. But not dead.」

展覧会概要 近年「事故物件ブーム」がにわかに巻き起こり、それにまつわる商業映画や、小説、ネット記事が数多く制作される様になりました。事故物件なる言葉はブーム以前から存在していましたが、日本人に古くからある意識、不浄の概念の現代版のようであり、現代日本の消費文化と結びついてホラー映画的な一つのカルチャーになりました。 しかし本来、生と死という概念は古くから人類が直面してきた現実的、哲学的な問題であり、資本主義的消費文化が根付く以前は軽々しく扱ってしまう様なテーマではなかったように思います。 私は生と死が一種の商品として市場に流通している事に対し、非常に違和感を感じてきました。思えば、子供の頃から慣れ親しんできた正義と悪の戦いの物語、感動的な死… 日本から遠く離れた紛争、それに巻き込まれて死んでいった子供達… そういった類のエンターテイメントやニュース番組を日々消費する事で本来の死の匂いから遠ざかっていく感覚がありました。虚構の死に感動し、遠い世界の紛争に心を痛めては、直後に流れるCMやグルメ番組に気を取られて忘れてしまう。身近に存在するはずの生と死を感じる事なく、不自由ない生活をおくる。 […]