2023年11月8日
2023年11月8日
菅泉亜沙子は東京を拠点に活動する写真家です。
本展覧会は2018年以降、Alt_Mediumにおける3回目の個展となります。
菅泉の写真群は特定の被写体や撮影地に捉われることなく、自らに縁を持たない土地を歩き続けることによって生み出されています。
しかし同時に、いくら遠く見知らぬ場所へ移動したとしても自身が既に属している社会規範から逃れらないこともまた、菅泉は作品を語る際には強調しています。
それでもなお、撮影したものたちが、制作を通じて像として浮き上がった時、既知の世界を超えて、新たな視座を拓く兆しとなるような感覚を受けることがあると菅泉は述べています。
地道な歩みが持つ力強さと、瞬く光をとらえる繊細さを併せ持つゼラチンシルバープリントをぜひご高覧ください。
− Alt_Medium
2023年10月4日
この作品は、2014年から2018年まで、わたしの生まれ故郷と各地の果樹園を追いかけた記録である。
わたしは埼玉県郊外の白岡市で生まれ育った。親戚が農業を営み梨園を保有していた。4月から5月にかけて受粉作業や実すぐりを時々手伝った。収穫の季節はいつも夏休みと重なっていて、出荷用の箱を祖母や伯父といっしょに組み立てた記憶がある。
海外に拠点を移し日本を離れていた時期もあったが、2013年に帰国。
日本に戻り最初に撮影をしたのがこの梨園だった。当たり前だった風景がなぜか違ってみえた。果樹が、実がなる樹という存在が、とても神秘的に見えた。
それから日本各地の果樹園に足を運び撮影を続けた。
青森では、りんご農家の主人に、息子が交通事故で亡くなり後継者不在という話を聞いた。瀬戸内海の小さな島で余命半年の高齢男性に出会った。妻に先立たれ自分も癌を患いながら蜜柑を育てていた。この作品を発表するには時間がかかり過ぎた。彼はもうこの世にはいないだろう。
白岡の梨園も2018年に終に閉めることになった。
伐採の当日、目の前で変わってゆく光景にシャッターを切り続けた。樹木を失った土壌はどんどん乾いていく。幹から切り落とされた枝はまだしっかりしているように見えたので、無造作に20本ほど持ち帰り浴槽に水を溜めて枝を浸した。
すると1ヶ月後に蕾がふくらみ始め、季節外れの3月に白い花が咲いた。
わたしは急いで枝を抱えて暗室に入り、最期の花が朽ちゆく瞬間を印画紙に焼き付けた。
2023年9月13日
展覧会概要 主に、一葉は家族を被写体に、彩乃は自分を被写体として、写真を撮りながら生活をしている作家です。 一人一台スマートフォンを持つ時代に、「写真を続ける」とはどういうことなのか定義が難しいですが、「写真の展示をすること」が一つの答えになればいいと思い、今回の展示となりました。それぞれ主題は異なりますが、自分と社会(他者)との間にある何かを埋めるために、写真を撮り続けているのが私たちの共通点かなと思っています。 被写体と撮影者である作家とその周りの環境を主に撮影した写真は、とても個人的な関係性が写るように見えるかもしれません。ただ、時々その中に、外の世界とつながるきっかけとなるシーンを繰り広げてくれることがあります。 他愛もない生活の中の、他愛あるシーンを積み重ねてできた写真作品を「ポップなパターン」として展示します。外の世界と共有される「ポップ」として撮影された写真をお楽しみください。
2023年7月19日
展覧会概要 田畑や雑木林が宅地や道路に変わる状況は日本の都市郊外においてどこにでも見受けられるだろう。 該当地域の自治体などは、土地に対する一定の条例や規制をかけて景観の保全を担保するものの、不動産デベロッパーの介在によって無秩序な宅地造成が進められてしまうのが実のところである。 こうした状況は土地固有の社会的背景を希薄化する要因であり美しさというものがまるでない。さらには土着的な規範のようなものを破綻させ、空間と空間の分断を促しているように思える。 もともとそこにあった風景に代わる空間の特性をパスとエッジという境界にまつわる要素を手がかりに撮影をする。すると現れてきたのは野生と人工の事物が入り混じった奇妙な均衡のうえに成り立つ風景であった。
2023年7月5日
展覧会概要 “ロンの開腹手術が決まった後の晴れた週末。僕はロンを写した”“海の底から登ってくる呼吸の泡”“彼女の消えいりそうな背中を見るのが好きだった” [ l / d ; to do ]は僕が死生観を強く感じた時に写したものを集めた。写真の中では生も死も関係なくそこに存在する。私はそんな写真の中で生きていたい。
2023年6月28日
展覧会概要 新山清は1911年、愛媛県に生まれました。1969年に不慮の死を遂げるまで、戦前から戦後を通して充実した写真作品の発表を続けていました。近年でもさまざまな場所でその作品を観覧できる企画が設けられており、新山清が残した写真群への関心はますます高まっているということができます。 Alt_Mediumにて開催される本展覧会では、新山清が戦後の約7年間に、故郷である愛媛県の松山で撮影した写真群を出陳いたします。 新山清の子息であり、その写真アーカイブを管理する新山洋一氏は、本展出陳作を「松山時代」と呼び、そこにあらわされた屈託のないまなざしにとりわけ愛着を持っていると語っています。現在では主観主義写真の代表的な実践者としても知られる新山清ですが、松山時代の諸作からは、美的な趣味判断のみにとどまらず、その土地の様子やそこに生きる人々の営みを率直に記録することへの関心が窺われます。そのことは、もしかしたら、さまざまな破壊や喪失によって塗り込められてしまった戦争という時代の経験、そして、そのような状況からついに解放されたことへの喜びによって、裏打ちされていたのかもしれません。 この機会に […]
2023年5月31日
展覧会概要 イイダユキは2016 年にDo’s Niko(大阪)で開催された個展「わたしは毎日うけいれる。そして、広げた風呂敷はたたむ。」を皮切りに精力的に作品発表を行い、2019 年には第8回 EMON AWARD ファイナリストに選出、2020 年には清里フォトアートミュージアム(山梨)に作品が収蔵されるなど、着実にキャリアを積み上げている写真家です。 今回Alt_Medium(東京)で発表される作品「THE WEDDING」では写真というメディアを “ 最も短い演劇 ” とたとえるイイダが、死に見えない「死」と、その関係性を結婚式という舞台で表現します。 これにより2022 年に結婚したイイダが配偶者の「死」を演劇的に演出することで、結婚を期に感じた違和感や不条理を浮かび上がらせるでしょう。 本展覧会では二人が入籍した2022 年3 月から2023 年3 月までに撮影された中から選び抜かれた作品を展示いたします。 === 夫が死んだ。去年結婚したばかりだった。 “愛情って情熱とか欲望とは全く違う場所に存在するのだと思う。”たまたま読んでいた小説の一節に妙に納得していた時期だった。 […]
2023年5月24日
展覧会概要 動物園という見ることの目的が明確な場所では、私たちの目的は「展示」されている動物たちを見ることだ。だから私たちの記憶には動物のみが主に存在している。なので、それを取り囲んでいた 「展示」状況(私たちが無意識に見ていたであろうその場の全体、細部、視界を遮っていたノイズの存在、人工的な物質)は、頭の中で描かれる写真のように主体の脇でぼんやりとするか、もしくは記憶から欠落する。この「exhibitions」シリーズは、記憶の中の状況を現実の状況として写真化された時に、私たちはどの様に現実が見え始めるのか?見る目的の明確な「展示」の場所を撮影し、それを考察する。
2023年4月26日
展覧会概要 初めまして。佐藤茉優花といいます。大学を卒業して1年が経ちました。1年前私は自分のことが分からなくなって、正しく自分を評価したり、評価されたりすることが怖くて、就活のエントリーシートが書けなくて、みんなが入社式の日、することがなくて泣きました。自分が苦しくない生き方が出来るように、そう思って好きだった花を扱う仕事と、少しだけ自信のあった人を撮る仕事を始めました。色々寄り道しながらも、なんとか、生きているみたいで。あ、あんまり実感はないんですけど。でも昔よりは目に見えるもの全部が鬱陶しいとか思わなくなりました。あれはどうしてだったんだろうな。 いま、風が吹いていますか?吹いてなかったらあなたの吐く息でも。それはどこまで行くんだろうって考えると彼ら、身軽でいいなって思いませんか?今回はそんな展示です。柔らかい風が吹く春みたいな展示がやりたいです。初めて生花をインスタレーションに織り交ぜた作品や、写真のアーカイブ、撮り下ろしの写真など展示します。 質量保存の法則とか、人は死んだらどうなるのかとか、そういう難しいことは分かんないし、社会のためになるような研究テーマもないです。私は私 […]
2023年4月19日
Relevant ステートメント どこに置き忘れたか思い出せなかった眼鏡は、職場の椅子の上にあった。いつもそんなところに置く訳ない場所にあったのだ。その時、必然があったから置いたのか?いや、どこに置き忘れたか思い出せないのだから無意識に置いたのだろう。置く場所が無かったからだろうか。いつもなら眼鏡が無いと不自由を感じるはずなのに、不自由を感じることなく、職場を離れた。眼鏡の不在による違和感は唐突にやってきて、世界が見えにくくなったのか、眼鏡の存在が大きくなる。脳内で行動を逆回転再生し、眼鏡の所在を探す。それでも見つからないので、脳内再生しながら身体を使い過去を追体験する。しかし、見つからない。脳内再生や身体的行為として探しても見つからないのは、過去に戻るのではなく未来に向かい新しい動線を描いているからだろう。つまり、無意識下に置ける物の喪失は、記憶不在であり、無かった・無いという現時点での事実だけが見えている。顔の一部とも言われることもある眼鏡の存在は、他者にとっては個を分類するマークとなる。ゆえに、分類マークが消えたとき、長年見慣れたはずであった他者の顔が、見知らぬ他者の存在になり動 […]
2023年4月5日
展覧会概要 写真。写真。写真。写真!!!私の頭の中はいつも写真でいっぱいです。いつだって目は何か探しているし、日々のちょっとした変化でも「写真にどう影響するんやろ」とそんなことばかり考えてしまいます。登山家の山野井泰史さんが「山登りを知ったときから、ずっと発狂状態なんだ。」と仰っていたそうです。その言葉を夫から教えてもらった時、私も写真に出会ってからずっと発狂状態やああ。と激しい共感を覚えました。 私は撮影に行くのが大の苦手です。「写真を撮らなきゃ!!」と意気込んでしまい、自分のイメージや物語の範疇にある窮屈な写真を撮ってしまいます。そんな写真を見ていても目は全然喜んでくれないし、あーあ。自分のために写真を被写体を利用してしまったなあ。と虚しい気持ちになるだけです。なので私は、撮影に行きません。んじゃあどうやって写真を撮っているかというと、いたってシンプルで生きる日々の中でです。通勤しながら、お茶しながら、ぷらぷらと遊びながら…。意気込んでいない時の方が、あっ!っという光景を素直な気持ちで撮ることが出来ます。 それはなんだか不思議な感覚で、意識はしっかりとあるのに私の意思じゃないような […]
2023年3月22日
展覧会概要 服が無くてはならない存在になっている今の時代に、無くてもいい服の存在が多く見受けられることに違和感を抱いています。でもそれは、服が人々を魅了すると言う裏付けでもあります。自分のアイデンティティとなる、分身でもある服に愛着を持つことは必然なこと。服には持ち主の記憶や思い出、その全ての風景を内包していると信じているから。 自身は約7年間アパレルブランドでの販売員を経験し、幾つもの記憶の始まりに立ち会ってきました。その経験から得た二つの視点について、この7年間で撮影されたスナップ(他者)と、分身である服(自分)に本展覧会ではフォーカスを当てています。 自分の目で見た風景と、他者の目で見た風景は、同じ記憶として重なるのか。たとえ同じ時を過ごしても、思考や感情、時の流れの感じ方は違ったもの。もはや他者の風景に自分と言う存在がいないとも考えられてしまう。それでも自分の記憶には確かに在る。実態のないそれを実証してくれるのは、自分の分身である服たちなのかもしれない。 自分の目で見たもの、他者の目で見たもの、思考や感情、時の流れの感じ方が違ったとしても、私たちは同じ時を過ごし、同じ風景を見て […]
2023年2月15日
2023年2月8日
展覧会概要 現代においてデジタルが主流になり、また近年フィルムの値上がりなどを理由に銀塩から離れていく人が多くなっている。そのため銀塩を選択する理由は何か問われる。その中で私たちは、デジタルにはない銀塩独自の雰囲気に惹かれた。現代で銀塩を選択していくことは簡単ではない。そんな現代にモノクロバライタプリントで表現していこうとする学生の作品展です。