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2023年6月28日

新山清 写真展「松山にて」

展覧会概要 新山清は1911年、愛媛県に生まれました。1969年に不慮の死を遂げるまで、戦前から戦後を通して充実した写真作品の発表を続けていました。近年でもさまざまな場所でその作品を観覧できる企画が設けられており、新山清が残した写真群への関心はますます高まっているということができます。 Alt_Mediumにて開催される本展覧会では、新山清が戦後の約7年間に、故郷である愛媛県の松山で撮影した写真群を出陳いたします。 新山清の子息であり、その写真アーカイブを管理する新山洋一氏は、本展出陳作を「松山時代」と呼び、そこにあらわされた屈託のないまなざしにとりわけ愛着を持っていると語っています。現在では主観主義写真の代表的な実践者としても知られる新山清ですが、松山時代の諸作からは、美的な趣味判断のみにとどまらず、その土地の様子やそこに生きる人々の営みを率直に記録することへの関心が窺われます。そのことは、もしかしたら、さまざまな破壊や喪失によって塗り込められてしまった戦争という時代の経験、そして、そのような状況からついに解放されたことへの喜びによって、裏打ちされていたのかもしれません。 この機会に […]
2023年5月31日

イイダユキ個展「THE WEDDING」

展覧会概要 イイダユキは2016 年にDo’s Niko(大阪)で開催された個展「わたしは毎日うけいれる。そして、広げた風呂敷はたたむ。」を皮切りに精力的に作品発表を行い、2019 年には第8回 EMON AWARD ファイナリストに選出、2020 年には清里フォトアートミュージアム(山梨)に作品が収蔵されるなど、着実にキャリアを積み上げている写真家です。 今回Alt_Medium(東京)で発表される作品「THE WEDDING」では写真というメディアを “ 最も短い演劇 ” とたとえるイイダが、死に見えない「死」と、その関係性を結婚式という舞台で表現します。 これにより2022 年に結婚したイイダが配偶者の「死」を演劇的に演出することで、結婚を期に感じた違和感や不条理を浮かび上がらせるでしょう。 本展覧会では二人が入籍した2022 年3 月から2023 年3 月までに撮影された中から選び抜かれた作品を展示いたします。 === 夫が死んだ。去年結婚したばかりだった。 “愛情って情熱とか欲望とは全く違う場所に存在するのだと思う。”たまたま読んでいた小説の一節に妙に納得していた時期だった。 […]
2023年5月24日

戸室健介 個展「exhibitions」

展覧会概要 動物園という見ることの目的が明確な場所では、私たちの目的は「展示」されている動物たちを見ることだ。だから私たちの記憶には動物のみが主に存在している。なので、それを取り囲んでいた 「展示」状況(私たちが無意識に見ていたであろうその場の全体、細部、視界を遮っていたノイズの存在、人工的な物質)は、頭の中で描かれる写真のように主体の脇でぼんやりとするか、もしくは記憶から欠落する。この「exhibitions」シリーズは、記憶の中の状況を現実の状況として写真化された時に、私たちはどの様に現実が見え始めるのか?見る目的の明確な「展示」の場所を撮影し、それを考察する。
2023年4月26日

佐藤茉優花 個展「Le Printemps」

展覧会概要 初めまして。佐藤茉優花といいます。大学を卒業して1年が経ちました。1年前私は自分のことが分からなくなって、正しく自分を評価したり、評価されたりすることが怖くて、就活のエントリーシートが書けなくて、みんなが入社式の日、することがなくて泣きました。自分が苦しくない生き方が出来るように、そう思って好きだった花を扱う仕事と、少しだけ自信のあった人を撮る仕事を始めました。色々寄り道しながらも、なんとか、生きているみたいで。あ、あんまり実感はないんですけど。でも昔よりは目に見えるもの全部が鬱陶しいとか思わなくなりました。あれはどうしてだったんだろうな。 いま、風が吹いていますか?吹いてなかったらあなたの吐く息でも。それはどこまで行くんだろうって考えると彼ら、身軽でいいなって思いませんか?今回はそんな展示です。柔らかい風が吹く春みたいな展示がやりたいです。初めて生花をインスタレーションに織り交ぜた作品や、写真のアーカイブ、撮り下ろしの写真など展示します。 質量保存の法則とか、人は死んだらどうなるのかとか、そういう難しいことは分かんないし、社会のためになるような研究テーマもないです。私は私 […]
2023年4月19日

片柳拓子 個展「Relevant」

Relevant ステートメント どこに置き忘れたか思い出せなかった眼鏡は、職場の椅子の上にあった。いつもそんなところに置く訳ない場所にあったのだ。その時、必然があったから置いたのか?いや、どこに置き忘れたか思い出せないのだから無意識に置いたのだろう。置く場所が無かったからだろうか。いつもなら眼鏡が無いと不自由を感じるはずなのに、不自由を感じることなく、職場を離れた。眼鏡の不在による違和感は唐突にやってきて、世界が見えにくくなったのか、眼鏡の存在が大きくなる。脳内で行動を逆回転再生し、眼鏡の所在を探す。それでも見つからないので、脳内再生しながら身体を使い過去を追体験する。しかし、見つからない。脳内再生や身体的行為として探しても見つからないのは、過去に戻るのではなく未来に向かい新しい動線を描いているからだろう。つまり、無意識下に置ける物の喪失は、記憶不在であり、無かった・無いという現時点での事実だけが見えている。顔の一部とも言われることもある眼鏡の存在は、他者にとっては個を分類するマークとなる。ゆえに、分類マークが消えたとき、長年見慣れたはずであった他者の顔が、見知らぬ他者の存在になり動 […]
2023年4月5日

林朋奈 個展「JOY!」

展覧会概要 写真。写真。写真。写真!!!私の頭の中はいつも写真でいっぱいです。いつだって目は何か探しているし、日々のちょっとした変化でも「写真にどう影響するんやろ」とそんなことばかり考えてしまいます。登山家の山野井泰史さんが「山登りを知ったときから、ずっと発狂状態なんだ。」と仰っていたそうです。その言葉を夫から教えてもらった時、私も写真に出会ってからずっと発狂状態やああ。と激しい共感を覚えました。 私は撮影に行くのが大の苦手です。「写真を撮らなきゃ!!」と意気込んでしまい、自分のイメージや物語の範疇にある窮屈な写真を撮ってしまいます。そんな写真を見ていても目は全然喜んでくれないし、あーあ。自分のために写真を被写体を利用してしまったなあ。と虚しい気持ちになるだけです。なので私は、撮影に行きません。んじゃあどうやって写真を撮っているかというと、いたってシンプルで生きる日々の中でです。通勤しながら、お茶しながら、ぷらぷらと遊びながら…。意気込んでいない時の方が、あっ!っという光景を素直な気持ちで撮ることが出来ます。 それはなんだか不思議な感覚で、意識はしっかりとあるのに私の意思じゃないような […]
2023年3月22日

小林安祐美 個展「reflects of memory」

展覧会概要 服が無くてはならない存在になっている今の時代に、無くてもいい服の存在が多く見受けられることに違和感を抱いています。でもそれは、服が人々を魅了すると言う裏付けでもあります。自分のアイデンティティとなる、分身でもある服に愛着を持つことは必然なこと。服には持ち主の記憶や思い出、その全ての風景を内包していると信じているから。 自身は約7年間アパレルブランドでの販売員を経験し、幾つもの記憶の始まりに立ち会ってきました。その経験から得た二つの視点について、この7年間で撮影されたスナップ(他者)と、分身である服(自分)に本展覧会ではフォーカスを当てています。 自分の目で見た風景と、他者の目で見た風景は、同じ記憶として重なるのか。たとえ同じ時を過ごしても、思考や感情、時の流れの感じ方は違ったもの。もはや他者の風景に自分と言う存在がいないとも考えられてしまう。それでも自分の記憶には確かに在る。実態のないそれを実証してくれるのは、自分の分身である服たちなのかもしれない。 自分の目で見たもの、他者の目で見たもの、思考や感情、時の流れの感じ方が違ったとしても、私たちは同じ時を過ごし、同じ風景を見て […]
2023年2月8日

東京工芸大学 バライタファインプリントゼミ「MODERN MONOCHROME」

展覧会概要 現代においてデジタルが主流になり、また近年フィルムの値上がりなどを理由に銀塩から離れていく人が多くなっている。そのため銀塩を選択する理由は何か問われる。その中で私たちは、デジタルにはない銀塩独自の雰囲気に惹かれた。現代で銀塩を選択していくことは簡単ではない。そんな現代にモノクロバライタプリントで表現していこうとする学生の作品展です。
2023年2月1日

村越 慧 個展「Objet 」

展覧会概要 物の「形」を私たちはどのように見ているのでしょうか。日々触れて見ている気になっている存在も、じっくりと見る機会は少ないものです。物には光と影が輪郭と質感を宿しさまざまな立体のイメージが生まれます。身近なものをヒントにレンズを通して「形」に向き合うこのシリーズの第1弾は、卵による曲線の世界です。 4×5inch大判カメラとゼラチンシルバープリントの作品による展示です。
2022年12月21日

田代つかさ 個展「スペクトラム・アナライザー」

展覧会概要 スペクトラム・アナライザーとは、通信機器や無線機器において高周波の歪みやノイズを測定するための機械を表す名称である。 目の前の事象にシャッターを切るのも、日々浮かび上がる言葉を使って現実からの逸脱を求めることも、カメラという機械で・または自身という媒体を使って現実に潜むイメージを希求する行為のように思えた。 (まだ)不可視なものを、身体を使って計測する。 見えていなければ存在しないということではない。
2022年12月14日

鈴木瑛大 写真展「川を編む」

展覧会概要 雨が降る。悲しみの雨なんて、誰かが決めつけるのだろう。雨が川に落ちた時、水滴は川を潜る。光は水面を擦る。生きるという行為は、海を求めて流れる川そのものだった。まだ流れ着くことを知らない、雨の次の日。私はただひたすら喪失でも再生でもない何かで、川を編む。
2022年12月7日

加藤優里 個展「Breathe」

展覧会概要 呼吸をしている、たしかに生きている、と感じる被写体を目の前に わたしは大きく息をすいこみそれらの呼吸に耳をすますシャッターをきりふうっと息をはく それらがすってはいた空気をわたしもすってはいている。 写っているのは、生きもの、物体、景色と異なるけれどそれぞれに脈打つ自然の存在を感じる。 それらと向き合い同じ空気を共有するとき、わたしは強く生きていると感じる。
2022年11月30日

顧 夢 個展「ただよううた −La petite phrase−」

展覧会概要  本展では、日常生活で出会った断片的な詩のイメージを、写真で断片のままに再現することを試みる(*)。 *「断片」とは、様々な形を持っている。写真についていえば、それはときには、電車の窓から見えた一瞬の光景、ときには、写真が現像液のなかで印画紙のうえに現れている過程、ときには、ある写真をたまたま見かけたとき、見る人のなかで何かが蘇る瞬間…。「断片」は、一見バラバラのように見えるが、いろいろな時間を結びつける可能性をはらんでいる。 *「詩」とは、必ずしもアート、私自身の意志と表現に関係を持っているわけではない。それは、ただ名前の手前、出会いのなかに、ただよっている。時には、それを目で探す、時にはただそれを見かける。 === Statement 海を見るとき、時々自分が波の上に閃いている光であることを想像する。次の一秒、明日、来月、太陽と海水の動きにともなって、わたしはどこにどんな色と温度で現れるだろう。  そして、どんな風景が見えるだろう。  薄暗い身体のなかに閃いている快楽。その一粒の光の現れのために、私の身体が海になる(*)。 *「私の身体=私」ではない。私はただ、そこに、 […]