2019年7月9日
2019年7月9日
展覧会概要 「個人」という存在は一見具体的で自律的に見える。 そして「私は私だけの経験や時間を持っていて、他者のそれとは交わらない」という錯覚はいつしか、私とあなたに明確に線を引いた。 本展覧会は、演技の手法を用いて個人を解放する試みである。 今回、互いをよく知る古くからの友人同士で共同制作を行った。互いに、性別や性格こそ違うが、服の趣味や考え方・感性が近いといつも感じてきた。 この人生を背負ったのがたまたま自分であった。その人生を背負ったのがたまたまあなたであった。 そういった視点から社会を見渡すと、人々はある点ではかけ離れ、しかしある部分では酷似している。 経験を偽装する。存在を偽装する。対外的に別の人間に成り代わる時間を持つことの難易度は、今の社会においてはとても低くなっている。 しかし一方で、他者が他者へ無責任に共感して代弁するような行為への非難は相次いでいる。 私が私でしかないことの何と貧しいことか。私と私でないあなたとの境界は、私たちが思うよりももっと曖昧で、ある時は消えて無くなってしまいうる。
2019年7月2日
展覧会概要 飯田鉄は1948 年生まれ、東京出身の写真家で、これまで精力的に展覧会で作品を発表する傍ら数多くの著作を残してきました。 また、1987 年には日本写真協会新人賞を受賞し作品は東京都写真美術館や川崎市民ミュージアムに収蔵されています。 飯田鉄の作品は1970 年前後から長年にわたり都市の様々な様態を記録、撮影し、何気ない対象がどこか「踏み外し」をしたような感触を与える、独特の時間感覚と空間の捉え方が、ひとつの特徴といえます。また、1975 年の個展「写真都市」(新宿ニコンサロン)以来、都市環境、建築物などの写真作品発表活動も継続して行なっており、今回の展覧会では、その「写真都市」シリーズ時代の作品から現在までのモノクローム作品の中から、あらためてそれぞれを見直し作品の流れを再構成する試みを行っています。 なお、およそ2 週間の展示期間を2 期に分け、前後で展示作品の入れ替えが行われます。 この機会にどうぞご高覧ください。 -Alt_Medium === 【第1期】2019年6月20日(木)〜25日(火)12:00〜20:00 *最終日17:00まで「揺らし箱」 【第2期】2 […]
2019年6月18日
展覧会概要 嶋田篤人は主に故郷である千葉県の房総半島を撮影し、一貫してモノクロームのオリジナルプリントを発表し続けています。また、2013年ゼラチンシルバーセッションアワードでグランプリを受賞の後、隔年で開催されているゼラチンシルバーセッションのグループ展に参加するなど、精力的に活動している作家です。 Alt_Mediumにおいて3回目の開催となる本展覧会で発表するのは、嶋田にとって馴染み深い海岸での1日を撮影した作品です。これまでの嶋田は故郷である房総半島には拘りながらも、被写体や時間、特定の地名といった制約を特には設けずに撮影してきました。しかし、今回嶋田は「同じ海岸に一日いるとどんなものに出会えるのか?」という興味からあえてこのような制約を設けました。その際、当初はその海岸で起こるであろう物語を定点観測的に撮影しようと思っていたものの、その海岸に立ち視点を持つ自分自身もまた海の物語の一部であると気づいた嶋田は、自身の意識の流れによる視線の変化でこの1日を表現するべきだと考えました。 幾度となく通った海岸の、その物語の一部として展開される嶋田の視線と意識の流れをこの機会にどうぞご高 […]
2019年3月19日
展覧会概要 動物園とは動物を展示して人間に見せるという場であり、管理する側の人間と、管理される側の動物はへだてられ、檻がそれを象徴しています。 その檻を写真という二次元の世界にさらに閉じこめ、客観的に見つめてみようと試みました。物質的な檻を注視することによって、動物と檻の関係を現代社会に生きる人間の心の中にもあてはめてみると、何かにとらわれていたり、とらえられていたり、形は様々であっても越えられない、目には見えない檻のような存在があることに気づかされることがあるからです。 動物が感情を言葉にすることができないように、人間も感情を上手く表に出せずに壁を作ってしまったり、あえて目をそむけてしまうことがあります。しかし、心の中にあるそういった不自然な檻のような存在に気がつくことができれば、檻の外に出る努力をすることができるのではないのでしょうか。 現実の檻から出ることができない動物たちは、そのことの大切さを教えてくれているように思うのです。
2019年3月12日
展覧会概要 長野県信濃美術館は1966年に開館した。半世紀を経て、その本館は美術館としての役目を終えた。残雪の土地で光に照らされるその姿を、もはや見ることはできない。僅かな枚数の写真と数時間分の映像が、いまとなっては恥ずべきものでもある、私の美意識という名の選別を通り抜けて残された。あの場所で何が可能であったのか、ここから何を語り得るのか。その後(跡)を生きる者にとっての責務として、私は少しずつでも考えてみたいのだ。
2019年2月26日
展覧会概要 心がざわつく瞬間はいつでもどこにいても ありふれた日々を特別な日々に特別な日々をありふれた日々に 心の奥底にしまってあった記憶たちそっと大事にしまっておいたもの
2019年2月12日
展覧会概要 それぞれが「色」を選び、被写体と向き合いテーマを見つけて表現する作品展「色」の持つ意味、イメージ、そして見る側のとらえ方で変わる写真の印象と趣きを伝えます。 写真家こばやしかをる指導の写真教室メンバー計12名による作品発表展です。 【Enjoy Photo Lesson】主宰:こばやしかをる === 2014年2月よりスタートした写真教室エンジョイフォトレッスンは5年目を迎えました。 デジタル一眼レフ、ミラーレスカメラのレッスンを中心に「自分らしさを見つける写真の撮り方」をベースとし、「写真を楽しみながら理解する・体験する・表現する」ことを大切に指導しています。
2019年1月22日
展覧会概要 FŪKEI 想起 死はますます見え難いものになっているように思う。人は死なない、などと何処かで誰かが考え始めているんじゃないだろうか。 生きながらにして死んでいることを考えてないと、ちゃんと生きられないんじゃないか、そんな風に考えるのは自分だけではないと思うが。 元々一つのものを「生と死」の二つに分けて、そして対極的に扱う、この言い方に問題があるのかもしれない。「と」をとって「生死」、いや「死生」と言うのはどうだろう。存在とは死に向かっている限りにおいて生きているのだから。 光が当たれば影ができて、光が消えれば闇が訪れる。そんな当たり前のことすら頭で分かっているだけで、実感なんかないんだろう。 光の中で解き放たれ、ただひとつしかないFŪKEIを見たいのならば、光と影をちゃんと両方見ることだ。そして光が去ったあとの闇に想いをはせる事だ。 あなたがそこに見ている風景は、すぐとなりの人には存在しないかもしれない。いや間違いなく存在しない。 見たいのは風景だ。ただひとつしか存在しない風景。 ところでそこの自分、誰に向かって言ってるんだ? 〔出展作家〕坂本政十賜|門山大介|横澤 […]
2018年12月11日
展覧会概要 あの時遭遇した情景がフィラメント状の銀による記録として再現される時、あのとき以上に心が掻き立つ。この妙なる調べ。 この感傷。 −内藤明 === 写されているのは、取り立てて風光明媚や、奇観とも言い難い場所である。自然と人工物を共に見出すようなイメージが殆どではあるが、その在り様に厳密な一貫性があるわけでもない。ある特定の被写体に強い拘りを持つわけでもなく、何らかの概念や思考の形象化でもないとすれば、内藤明はなぜ写真を撮影するのか。 提示されるイメージは、光が濃度をもつ、と形容することが過言とは思えない端正な階調に満ちてはいるが、それは、レンズの前の光を遍く捉え、再現したその結果などではない。画面の内の一部を指し示すように、限られた部分に多く光を留めるそれらイメージは、矩形の均質な平面により自ずと成立しているかのような「風景」というよりも、人間の眼差しに限界づけられた「眺め」と呼ぶことこそ相応しいのではないか。 そうした「眺め」の物化ともいうべき写真は、内藤が繰り返し綴る「衝動」という言葉とどのように結びついているのか。撮影行為のトリガーとなる衝動が何に起因するのかを、 […]
2018年12月2日
展覧会概要 嶋田篤人は第一回GSS フォトアワードでのグランプリ受賞をはじめ、近年目覚ましい活躍をみせる写真家です。モノクロームの銀塩写真のみを用いたその作品は、徹底して削ぎ落とされた形式でありながら、豊かな意味を喚起させます。そして、単に美的な階調表現に留まることのないそのイメージは、写す者と写されるモノが互いを触発しあうような関係性を、観る者に感じさせます。嶋田が、静けさを湛えた印画によって提示するその試みは、自己と世界への探求と言い換えることも可能でしょう。 この機会にぜひご覧ください。 === その旅路、私は何かに出会うことを待っている。房総半島で写真を撮る。私はここで写真を撮ることが好きだ。半島の終わりある道や、歩いては行けない海、佇むモノたちはまるで年輪を重ね待っているように見える。私は立ち止まる。私を立ち止まらせたものは何か。絶対的な存在感でいて、しかし何者でもない何か。ファインダーを覗き、それが再び現れるのを待つ。「待つ」は「祀る」の由来という説がある。シャッターの裏側、フィルムは露光を待ち、潜像が現像を待つ。ファインダーで見えているモノの向こう側に何かが見えた時、私は […]
2018年11月6日
展覧会概要 2017年から開始したこのプロジェクトでは、関東平野の周囲を沿うように東京の郊外から山間部へと至る一帯をロードトリップしながら撮影を行っています。 これまでに北関東エリアを中心に、2020年の東京オリンピックを目前にして再開発が進む東京都心とは反対に、時代に取り残され廃墟化したバブル時代の施設、近代化や高度経済成長の名の下に乱開発され環境が破壊されたまま放置された鉱山跡地や石切り場、国をあげての公共工事として現在も進行中のダムの工事現場と周辺の景観、見慣れたはずの幹線通り沿いで不意に目にとまった奇妙な光景などを記録してきました。 東京周辺のいわば境界的なエリアに対して、まずその土地の地理や地質的観点からアプローチし、 近代以降の文化、歴史、政治、経済などの諸側面を踏まえて調査を行う中で、作品制作においては西部開拓期からウォーカー・エバンスらによるFSA、ソーシャルランドスケープ、ニュートポグラフィックス、ニューカラーへと至るアメリカのドキュメンタリー写真の系譜がもっていた批評性や方法論を参照しています。 すでに映画や写真、TVやインターネットの映像など様々なメディアを通して […]
2018年10月16日
展覧会概要 或る夜、家の外に出て⽬に⼊ってきたのは⼀灯の街灯の光で、夜にもかかわらず、その周辺は明るかった。 近づくと明るさが視界を占領し、街灯の奥にひろがる空に何があるかはわからなかった。真っ暗闇の⼭を登る時、遠くの⽅に街の光がみえてくると安⼼するように、電気による光がない頃の夜に星がみえた時、⼈は安堵感を覚え、何を想ったのだろうか。 私はいま昼間に星を眺めてみる。
2018年10月9日
展覧会概要 東京工芸大学 バライタファインプリントゼミ展 銀塩での制作では自ずと時間を意識することになります。瞬時には画像が表れず、現像やプリントを経て写真となる。感情やモノも時間が経過することで、完成されていくのではないでしょうか。 時との関わりが銀塩写真を際立たせていきます。 時は重ねるのではなく、積み上げていくものでしょう。 3年生でモノクロバライタプリントを選択した学生の作品展です。ご高覧ください。 〔出展作家〕朝田建成|猪又治斗|奥谷悠人|笠谷有香|ZHU LONGXIANG|CHANG ISO|NIE SHAN|鈴木冬生|ZHANG QI|ZHANG RUIQI|中﨑大河|福岡咲陽子|柳香穂|WENG YUXIN|有澤世理佳|和泉匠|田中 仁|
2018年9月30日
展覧会概要 古野達也は「TIFF Open competition」(ポーランド)や「塩竈フォトフェスティバル2018 写真賞」にて特別賞を受賞するなど、近年活躍が著しい若手写真家です。私たちは日常、事物をそれぞれ名付けられた(言葉によってフレーミングされた)ものとして、そして、それらの集合を世界として扱っているのではないでしょうか。そうした中で古野の作品は、カメラのフレームを用いて、そのような認識を中断し、世界を「見慣れない」ものとして出現させる試みともいえるでしょう。そのためそこに写される事物の姿は、簡単に名付けられることを拒むかのような、どこか不安な在り方をしています。しかし、そのイメージは同時に、「見慣れた」印象から解放された、静けさにも似た新鮮さを湛えています。写真というメディウムへのしたたかな思考を持つ作家の試みを、この機会にぜひご覧ください。 −Alt_Medium === 『実 在』見えているものと、感じるもの、二つによって生じた空隙が埋まらず、確かに見てはいるが、その実感を得られない時がある。その状況に没頭していると、その空隙こそが、形のある生き生きとした存在のように […]