2019年11月26日
2019年11月26日
展覧会概要 岩崎美ゆきは2018 年武蔵野美術大学映像学科を卒業。2017 年には第17 回「1_WALL」では奨励賞(増田玲選)を受賞。岩崎はこれまで撮影する場所に対してフラットな関係性を保ちながら、見ているようで見ていないものや、空間を提示しようと試みてきました。 岩崎にとってはじめての個展である「この海は泳ぐためではありません」で、岩崎は自身とは縁のない式根島を撮影しています。いまだ手つかずの自然を残しながらも、人為や天災によって徐々にその形をかえゆく土地を岩崎は、” 少し閉じながらも変わりゆく場所” と表現しています。そこに立っていた岩崎の風景と、そこに立っていない鑑賞者が見る” 写真に写った風景”。それぞれ対峙した際に生じる風景の揺らぎを、どうぞこの機会に御覧ください。 -Alt_Medium
2019年11月12日
展覧会概要 喜多村みかは1982年福岡県生まれの写真作家で、2008年東京工芸大学院芸術学研究科メディアアート専攻写真領域を修了。 喜多村は主にスナップショットという技法を使用し、非常に身近でありながら少し距離感がある、どこともいえない世界を切り取ります。その様子は作家自身のというよりは作家の前に広がる風景の身じろぎのようであり、絶え間なく揺らぐ世界の隙を捉えたかのようでもあります。 今回発表される「TOPOS」は「VOCA展2019現代美術の展望─新しい平面の作家たち─」において山峰 潤也氏(水戸芸術館現代美術センター学芸員)より推薦を受け出品され、大原美術館賞を受賞した作品です。本作品で喜多村は、自身が中学生時代を過ごした長崎と、それまで直接的には縁のなかった広島を定期的に通い撮影しています。そのある年、喜多村は長崎でも、広島でもない場所で平和記念式典のテレビ放送の様子を撮影。その写真を後日眺めていたときに感じた”遠くのどこか”を眺める行為について思いを巡らせたことが本作へと繋がります。 喜多村は、今、自身の写真について「すべての場所に言えるのは、そこは何かが起こった後であり、何か […]
2019年10月29日
展覧会概要 古野達也は、写真というメディウムを用いて「見る」という行為を問い続ける、気鋭の写真家です。 本展覧会「まなざしの中の静けさ / Silence in a gaze」は、2018 年 10 月に開催された「実在-being-」以降 Alt_Medium での二度目の個展となります。 古野の、探究的とも評すことのできる制作への姿勢と、暗室プロセスから生まれる美しい仕上がりのプリントは、本展覧会で発表される新作にも一貫しています。「事物が “よく見える” とき、そこには「静けさ」が在る」、と古野は独特の、しかし自身の写真への的確な換言とも捉えるべき言葉で表しています。古野の作品は特別なギミックを徹底的に排したようなストレート・フォトグラフィーでありながら、どこか幻惑的であり、かつ奇妙な情緒を湛えているようにも見えます。 この機会にぜひとも御覧ください。 ―Alt_Medium === 見ること、感じることの曖昧さへの関心が制作の動機となっています。作品としてまとめてきた写真を見ていると、何かを発見した時のような喜びを感じます。同時に、理解されることを拒むような有り様が、私を強く揺 […]
2019年10月1日
展覧会概要 東京工芸大学の前期ゼミの一つ、バライタファインプリントゼミによる学生13人+教授一人のモノクロ手焼きでの作品展示です。バライタでの制作をしてきた者も、改めて挑戦した者も各々がテーマを決め、暗室作業を通し写真と向き合って制作をしました。ご覧ください。
2019年8月20日
展覧会概要 朝、犬は目を覚ましたら、両手を前についておしりを高らかに上げて、伸びをする。その動作を写真に撮って「おはよう」と声をかける。そして、両ほほから頭、背中と全身をなでて、最後に毛並みに鼻を寄せてひとつ息を吸い込む。犬はうちにやってきたときから突然かけがえのない存在になったわけではなく、ともに過ごしてきた時間のなかでそうなっていった。日常で、犬は大切なことを差し出してくれて、私は受け取ってきたように感じている。家族にカメラを向けるきっかけをくれたのも犬だった。 庭先に犬が寝ている光景も、寝顔も、鼻から漏れる寝息も、毛並みの触感も、なにひとつ取りこぼさずに覚えていたい。私の頼りない記憶力では出来そうにないから、今日も写真に託している。 −北田瑞絵
2019年7月9日
展覧会概要 「個人」という存在は一見具体的で自律的に見える。 そして「私は私だけの経験や時間を持っていて、他者のそれとは交わらない」という錯覚はいつしか、私とあなたに明確に線を引いた。 本展覧会は、演技の手法を用いて個人を解放する試みである。 今回、互いをよく知る古くからの友人同士で共同制作を行った。互いに、性別や性格こそ違うが、服の趣味や考え方・感性が近いといつも感じてきた。 この人生を背負ったのがたまたま自分であった。その人生を背負ったのがたまたまあなたであった。 そういった視点から社会を見渡すと、人々はある点ではかけ離れ、しかしある部分では酷似している。 経験を偽装する。存在を偽装する。対外的に別の人間に成り代わる時間を持つことの難易度は、今の社会においてはとても低くなっている。 しかし一方で、他者が他者へ無責任に共感して代弁するような行為への非難は相次いでいる。 私が私でしかないことの何と貧しいことか。私と私でないあなたとの境界は、私たちが思うよりももっと曖昧で、ある時は消えて無くなってしまいうる。
2019年7月2日
展覧会概要 飯田鉄は1948 年生まれ、東京出身の写真家で、これまで精力的に展覧会で作品を発表する傍ら数多くの著作を残してきました。 また、1987 年には日本写真協会新人賞を受賞し作品は東京都写真美術館や川崎市民ミュージアムに収蔵されています。 飯田鉄の作品は1970 年前後から長年にわたり都市の様々な様態を記録、撮影し、何気ない対象がどこか「踏み外し」をしたような感触を与える、独特の時間感覚と空間の捉え方が、ひとつの特徴といえます。また、1975 年の個展「写真都市」(新宿ニコンサロン)以来、都市環境、建築物などの写真作品発表活動も継続して行なっており、今回の展覧会では、その「写真都市」シリーズ時代の作品から現在までのモノクローム作品の中から、あらためてそれぞれを見直し作品の流れを再構成する試みを行っています。 なお、およそ2 週間の展示期間を2 期に分け、前後で展示作品の入れ替えが行われます。 この機会にどうぞご高覧ください。 -Alt_Medium === 【第1期】2019年6月20日(木)〜25日(火)12:00〜20:00 *最終日17:00まで「揺らし箱」 【第2期】2 […]
2019年6月18日
展覧会概要 嶋田篤人は主に故郷である千葉県の房総半島を撮影し、一貫してモノクロームのオリジナルプリントを発表し続けています。また、2013年ゼラチンシルバーセッションアワードでグランプリを受賞の後、隔年で開催されているゼラチンシルバーセッションのグループ展に参加するなど、精力的に活動している作家です。 Alt_Mediumにおいて3回目の開催となる本展覧会で発表するのは、嶋田にとって馴染み深い海岸での1日を撮影した作品です。これまでの嶋田は故郷である房総半島には拘りながらも、被写体や時間、特定の地名といった制約を特には設けずに撮影してきました。しかし、今回嶋田は「同じ海岸に一日いるとどんなものに出会えるのか?」という興味からあえてこのような制約を設けました。その際、当初はその海岸で起こるであろう物語を定点観測的に撮影しようと思っていたものの、その海岸に立ち視点を持つ自分自身もまた海の物語の一部であると気づいた嶋田は、自身の意識の流れによる視線の変化でこの1日を表現するべきだと考えました。 幾度となく通った海岸の、その物語の一部として展開される嶋田の視線と意識の流れをこの機会にどうぞご高 […]
2019年3月19日
展覧会概要 動物園とは動物を展示して人間に見せるという場であり、管理する側の人間と、管理される側の動物はへだてられ、檻がそれを象徴しています。 その檻を写真という二次元の世界にさらに閉じこめ、客観的に見つめてみようと試みました。物質的な檻を注視することによって、動物と檻の関係を現代社会に生きる人間の心の中にもあてはめてみると、何かにとらわれていたり、とらえられていたり、形は様々であっても越えられない、目には見えない檻のような存在があることに気づかされることがあるからです。 動物が感情を言葉にすることができないように、人間も感情を上手く表に出せずに壁を作ってしまったり、あえて目をそむけてしまうことがあります。しかし、心の中にあるそういった不自然な檻のような存在に気がつくことができれば、檻の外に出る努力をすることができるのではないのでしょうか。 現実の檻から出ることができない動物たちは、そのことの大切さを教えてくれているように思うのです。
2019年3月12日
展覧会概要 長野県信濃美術館は1966年に開館した。半世紀を経て、その本館は美術館としての役目を終えた。残雪の土地で光に照らされるその姿を、もはや見ることはできない。僅かな枚数の写真と数時間分の映像が、いまとなっては恥ずべきものでもある、私の美意識という名の選別を通り抜けて残された。あの場所で何が可能であったのか、ここから何を語り得るのか。その後(跡)を生きる者にとっての責務として、私は少しずつでも考えてみたいのだ。
2019年2月26日
展覧会概要 心がざわつく瞬間はいつでもどこにいても ありふれた日々を特別な日々に特別な日々をありふれた日々に 心の奥底にしまってあった記憶たちそっと大事にしまっておいたもの
2019年2月12日
展覧会概要 それぞれが「色」を選び、被写体と向き合いテーマを見つけて表現する作品展「色」の持つ意味、イメージ、そして見る側のとらえ方で変わる写真の印象と趣きを伝えます。 写真家こばやしかをる指導の写真教室メンバー計12名による作品発表展です。 【Enjoy Photo Lesson】主宰:こばやしかをる === 2014年2月よりスタートした写真教室エンジョイフォトレッスンは5年目を迎えました。 デジタル一眼レフ、ミラーレスカメラのレッスンを中心に「自分らしさを見つける写真の撮り方」をベースとし、「写真を楽しみながら理解する・体験する・表現する」ことを大切に指導しています。
2019年1月22日
展覧会概要 FŪKEI 想起 死はますます見え難いものになっているように思う。人は死なない、などと何処かで誰かが考え始めているんじゃないだろうか。 生きながらにして死んでいることを考えてないと、ちゃんと生きられないんじゃないか、そんな風に考えるのは自分だけではないと思うが。 元々一つのものを「生と死」の二つに分けて、そして対極的に扱う、この言い方に問題があるのかもしれない。「と」をとって「生死」、いや「死生」と言うのはどうだろう。存在とは死に向かっている限りにおいて生きているのだから。 光が当たれば影ができて、光が消えれば闇が訪れる。そんな当たり前のことすら頭で分かっているだけで、実感なんかないんだろう。 光の中で解き放たれ、ただひとつしかないFŪKEIを見たいのならば、光と影をちゃんと両方見ることだ。そして光が去ったあとの闇に想いをはせる事だ。 あなたがそこに見ている風景は、すぐとなりの人には存在しないかもしれない。いや間違いなく存在しない。 見たいのは風景だ。ただひとつしか存在しない風景。 ところでそこの自分、誰に向かって言ってるんだ? 〔出展作家〕坂本政十賜|門山大介|横澤 […]
2018年12月11日
展覧会概要 あの時遭遇した情景がフィラメント状の銀による記録として再現される時、あのとき以上に心が掻き立つ。この妙なる調べ。 この感傷。 −内藤明 === 写されているのは、取り立てて風光明媚や、奇観とも言い難い場所である。自然と人工物を共に見出すようなイメージが殆どではあるが、その在り様に厳密な一貫性があるわけでもない。ある特定の被写体に強い拘りを持つわけでもなく、何らかの概念や思考の形象化でもないとすれば、内藤明はなぜ写真を撮影するのか。 提示されるイメージは、光が濃度をもつ、と形容することが過言とは思えない端正な階調に満ちてはいるが、それは、レンズの前の光を遍く捉え、再現したその結果などではない。画面の内の一部を指し示すように、限られた部分に多く光を留めるそれらイメージは、矩形の均質な平面により自ずと成立しているかのような「風景」というよりも、人間の眼差しに限界づけられた「眺め」と呼ぶことこそ相応しいのではないか。 そうした「眺め」の物化ともいうべき写真は、内藤が繰り返し綴る「衝動」という言葉とどのように結びついているのか。撮影行為のトリガーとなる衝動が何に起因するのかを、 […]