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2023年7月26日

リー・オタワ 個展「(still life)s」

展覧会概要 「静物画」は “still life” と訳される。 「静物画」というジャンルにとくに執着は無いけれど、“still life” という言葉の響きは、「ただ生きている。」、「じっと生きている。」、「まだ生きている。」、「静かに生きている。」といったニュアンスを伴って、自身の頭の片隅にとどまり続けている。 だからどうということもなく、当たり前のように、言葉は「絵」に追いつかない。 それでも日々、 何かを見えるものにしようとしたり、何かを触れることのできる形にしようとする欲望や行為は、 ひとつの単語だったり、頭の中をかすめては繰り返し戻ってくるようなフレーズだったり、 ごくごく個人的な領域で、ささやかに発熱し続けているような、 わざとらしくない、 いくつかのシンプルな言葉と関係している、という実感がある。 そんな言葉のひとつが、自身にとっては “still life” という言葉なのだろう。
2023年7月19日

若山忠毅 個展「パスとエッジ ー野生と園芸の地理学ー」

展覧会概要 田畑や雑木林が宅地や道路に変わる状況は日本の都市郊外においてどこにでも見受けられるだろう。 該当地域の自治体などは、土地に対する一定の条例や規制をかけて景観の保全を担保するものの、不動産デベロッパーの介在によって無秩序な宅地造成が進められてしまうのが実のところである。 こうした状況は土地固有の社会的背景を希薄化する要因であり美しさというものがまるでない。さらには土着的な規範のようなものを破綻させ、空間と空間の分断を促しているように思える。 もともとそこにあった風景に代わる空間の特性をパスとエッジという境界にまつわる要素を手がかりに撮影をする。すると現れてきたのは野生と人工の事物が入り混じった奇妙な均衡のうえに成り立つ風景であった。
2023年7月5日

紺田達也 個展 [ l /d ; to do ]

展覧会概要 “ロンの開腹手術が決まった後の晴れた週末。僕はロンを写した”“海の底から登ってくる呼吸の泡”“彼女の消えいりそうな背中を見るのが好きだった” [ l / d ; to do ]は僕が死生観を強く感じた時に写したものを集めた。写真の中では生も死も関係なくそこに存在する。私はそんな写真の中で生きていたい。
2023年6月28日

新山清 写真展「松山にて」

展覧会概要 新山清は1911年、愛媛県に生まれました。1969年に不慮の死を遂げるまで、戦前から戦後を通して充実した写真作品の発表を続けていました。近年でもさまざまな場所でその作品を観覧できる企画が設けられており、新山清が残した写真群への関心はますます高まっているということができます。 Alt_Mediumにて開催される本展覧会では、新山清が戦後の約7年間に、故郷である愛媛県の松山で撮影した写真群を出陳いたします。 新山清の子息であり、その写真アーカイブを管理する新山洋一氏は、本展出陳作を「松山時代」と呼び、そこにあらわされた屈託のないまなざしにとりわけ愛着を持っていると語っています。現在では主観主義写真の代表的な実践者としても知られる新山清ですが、松山時代の諸作からは、美的な趣味判断のみにとどまらず、その土地の様子やそこに生きる人々の営みを率直に記録することへの関心が窺われます。そのことは、もしかしたら、さまざまな破壊や喪失によって塗り込められてしまった戦争という時代の経験、そして、そのような状況からついに解放されたことへの喜びによって、裏打ちされていたのかもしれません。 この機会に […]
2023年6月14日

qp個展「花の絵」

展覧会概要 qpは2000年代中盤より活動を始め、現在はおもに画家として制作を行っている。 「明るさ」(2020年)、「紙の上の音楽」(2022年)に続くAlt_Mediumでの個展「花の絵」(2023年)は、タイトル通り花をテーマとしている。 「明るさ」以降、水彩画が制作の中心となっているが、qpの水彩画は筆を極力使用せず、スポイトや紙の切れ端を用いる独自の手法である。今作「花の絵」では、筆を使わない技法がさらに徹底されている。 また花を描く際、現実のそれを見て写すことはせず、即興的に描写される単純な図形を組み合わせ、重ねられ、花に見立てられる。花は、多くの場合ただ一輪ではなくいくつも描かれる。いくつも描かれること、並べることによって生まれる音楽的なリズムに関心を向ける。 野生の花は、風や虫によってたまたま種が運ばれ、ランダムな場所に咲き群生していくが、qpの花も、野生のような作為のなさで紙を埋める。そうして、紙の上に散らばった花の色と形が響き合いながら、喜びを湛えた小さな世界を作るだろう。 今回の個展に合わせ、作品集「花の絵」(DOOKS)が刊行される。
2023年5月31日

イイダユキ個展「THE WEDDING」

展覧会概要 イイダユキは2016 年にDo’s Niko(大阪)で開催された個展「わたしは毎日うけいれる。そして、広げた風呂敷はたたむ。」を皮切りに精力的に作品発表を行い、2019 年には第8回 EMON AWARD ファイナリストに選出、2020 年には清里フォトアートミュージアム(山梨)に作品が収蔵されるなど、着実にキャリアを積み上げている写真家です。 今回Alt_Medium(東京)で発表される作品「THE WEDDING」では写真というメディアを “ 最も短い演劇 ” とたとえるイイダが、死に見えない「死」と、その関係性を結婚式という舞台で表現します。 これにより2022 年に結婚したイイダが配偶者の「死」を演劇的に演出することで、結婚を期に感じた違和感や不条理を浮かび上がらせるでしょう。 本展覧会では二人が入籍した2022 年3 月から2023 年3 月までに撮影された中から選び抜かれた作品を展示いたします。 === 夫が死んだ。去年結婚したばかりだった。 “愛情って情熱とか欲望とは全く違う場所に存在するのだと思う。”たまたま読んでいた小説の一節に妙に納得していた時期だった。 […]
2023年5月24日

戸室健介 個展「exhibitions」

展覧会概要 動物園という見ることの目的が明確な場所では、私たちの目的は「展示」されている動物たちを見ることだ。だから私たちの記憶には動物のみが主に存在している。なので、それを取り囲んでいた 「展示」状況(私たちが無意識に見ていたであろうその場の全体、細部、視界を遮っていたノイズの存在、人工的な物質)は、頭の中で描かれる写真のように主体の脇でぼんやりとするか、もしくは記憶から欠落する。この「exhibitions」シリーズは、記憶の中の状況を現実の状況として写真化された時に、私たちはどの様に現実が見え始めるのか?見る目的の明確な「展示」の場所を撮影し、それを考察する。
2023年5月10日

佐々木かなえ 個展「風景は人間の顔のようなもの」

展覧会概要 変化が早い社会でなんとなく流れのままに生活していると、表面的な事しか認識していないような気分になることがある。その感覚をきっかけに、気になる事象をもとにして作品化を試みている。近年は現代社会と建造物に関連した作品を制作している。 本展のタイトルは、ジャン=リュック・ゴダール監督の「彼女について私が知っている二、三の事柄」で、主人公が語った言葉を引用している。1966年のパリは、首都圏拡張計画の一環で、公団住宅の大規模な建設工事が行われていた。この映画の主人公は、公団住宅で暮らす主婦。彼女の日常生活を描くことで、その背景にある社会問題を表現している。 普段なにげなく見ている建造物は、誰かが目的を持って作り上げたものだ。そこには人間の生活が投影されているのではないか。つまらないと感じる日常の景色も、あらためてよく見てみれば、惹きつけられるものがあると考えている。
2023年5月3日

原 杏奈 個展「mui」

展覧会概要 大学院を修了し丸6年が経過した。その間、近しいところで(もしくは遠いところの)人が生まれ、人が亡くなりゆくのを眺めていた。 スピードを上げ、めまぐるしく流れるように変化を続ける周囲や社会に、それでも変わることのない二重の風景を見出し、観察し、思考した結果を展覧する。 === ステートメント 2017 年の個展「境界の所在」において、物事や事象のあいだに存在する境界を探り、再認識する試みを発表した。境界は時に流動し、時に幻影であり、時に確固として動かぬものであった。 あれから 6 年が経った。その間に、親しい間柄の人間が亡くなり、また新しい命が生まれてくる様を目の当たりにした。子は成長する。ベランダの植物も日々健やかに、四季折々多様な表情をみせる。近所の用水路も天候により様相を変え、ハイウェイは曜日や時間帯で流れが異なる。 めまぐるしく変化を続ける周囲や社会に対して、私自身は何もできず、ただ日常を過ごした。 それでも私に構うことなく変化し続ける世界を眺めていると、変化の中にこそ、変わらぬ本質のようなものがあるのではないかと感じることがある。世界は二層、もしくは多層に重なり、目 […]
2023年4月26日

佐藤茉優花 個展「Le Printemps」

展覧会概要 初めまして。佐藤茉優花といいます。大学を卒業して1年が経ちました。1年前私は自分のことが分からなくなって、正しく自分を評価したり、評価されたりすることが怖くて、就活のエントリーシートが書けなくて、みんなが入社式の日、することがなくて泣きました。自分が苦しくない生き方が出来るように、そう思って好きだった花を扱う仕事と、少しだけ自信のあった人を撮る仕事を始めました。色々寄り道しながらも、なんとか、生きているみたいで。あ、あんまり実感はないんですけど。でも昔よりは目に見えるもの全部が鬱陶しいとか思わなくなりました。あれはどうしてだったんだろうな。 いま、風が吹いていますか?吹いてなかったらあなたの吐く息でも。それはどこまで行くんだろうって考えると彼ら、身軽でいいなって思いませんか?今回はそんな展示です。柔らかい風が吹く春みたいな展示がやりたいです。初めて生花をインスタレーションに織り交ぜた作品や、写真のアーカイブ、撮り下ろしの写真など展示します。 質量保存の法則とか、人は死んだらどうなるのかとか、そういう難しいことは分かんないし、社会のためになるような研究テーマもないです。私は私 […]
2023年4月19日

片柳拓子 個展「Relevant」

Relevant ステートメント どこに置き忘れたか思い出せなかった眼鏡は、職場の椅子の上にあった。いつもそんなところに置く訳ない場所にあったのだ。その時、必然があったから置いたのか?いや、どこに置き忘れたか思い出せないのだから無意識に置いたのだろう。置く場所が無かったからだろうか。いつもなら眼鏡が無いと不自由を感じるはずなのに、不自由を感じることなく、職場を離れた。眼鏡の不在による違和感は唐突にやってきて、世界が見えにくくなったのか、眼鏡の存在が大きくなる。脳内で行動を逆回転再生し、眼鏡の所在を探す。それでも見つからないので、脳内再生しながら身体を使い過去を追体験する。しかし、見つからない。脳内再生や身体的行為として探しても見つからないのは、過去に戻るのではなく未来に向かい新しい動線を描いているからだろう。つまり、無意識下に置ける物の喪失は、記憶不在であり、無かった・無いという現時点での事実だけが見えている。顔の一部とも言われることもある眼鏡の存在は、他者にとっては個を分類するマークとなる。ゆえに、分類マークが消えたとき、長年見慣れたはずであった他者の顔が、見知らぬ他者の存在になり動 […]
2023年4月5日

林朋奈 個展「JOY!」

展覧会概要 写真。写真。写真。写真!!!私の頭の中はいつも写真でいっぱいです。いつだって目は何か探しているし、日々のちょっとした変化でも「写真にどう影響するんやろ」とそんなことばかり考えてしまいます。登山家の山野井泰史さんが「山登りを知ったときから、ずっと発狂状態なんだ。」と仰っていたそうです。その言葉を夫から教えてもらった時、私も写真に出会ってからずっと発狂状態やああ。と激しい共感を覚えました。 私は撮影に行くのが大の苦手です。「写真を撮らなきゃ!!」と意気込んでしまい、自分のイメージや物語の範疇にある窮屈な写真を撮ってしまいます。そんな写真を見ていても目は全然喜んでくれないし、あーあ。自分のために写真を被写体を利用してしまったなあ。と虚しい気持ちになるだけです。なので私は、撮影に行きません。んじゃあどうやって写真を撮っているかというと、いたってシンプルで生きる日々の中でです。通勤しながら、お茶しながら、ぷらぷらと遊びながら…。意気込んでいない時の方が、あっ!っという光景を素直な気持ちで撮ることが出来ます。 それはなんだか不思議な感覚で、意識はしっかりとあるのに私の意思じゃないような […]
2023年3月22日

小林安祐美 個展「reflects of memory」

展覧会概要 服が無くてはならない存在になっている今の時代に、無くてもいい服の存在が多く見受けられることに違和感を抱いています。でもそれは、服が人々を魅了すると言う裏付けでもあります。自分のアイデンティティとなる、分身でもある服に愛着を持つことは必然なこと。服には持ち主の記憶や思い出、その全ての風景を内包していると信じているから。 自身は約7年間アパレルブランドでの販売員を経験し、幾つもの記憶の始まりに立ち会ってきました。その経験から得た二つの視点について、この7年間で撮影されたスナップ(他者)と、分身である服(自分)に本展覧会ではフォーカスを当てています。 自分の目で見た風景と、他者の目で見た風景は、同じ記憶として重なるのか。たとえ同じ時を過ごしても、思考や感情、時の流れの感じ方は違ったもの。もはや他者の風景に自分と言う存在がいないとも考えられてしまう。それでも自分の記憶には確かに在る。実態のないそれを実証してくれるのは、自分の分身である服たちなのかもしれない。 自分の目で見たもの、他者の目で見たもの、思考や感情、時の流れの感じ方が違ったとしても、私たちは同じ時を過ごし、同じ風景を見て […]