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2023年4月5日

林朋奈 個展「JOY!」

展覧会概要 写真。写真。写真。写真!!!私の頭の中はいつも写真でいっぱいです。いつだって目は何か探しているし、日々のちょっとした変化でも「写真にどう影響するんやろ」とそんなことばかり考えてしまいます。登山家の山野井泰史さんが「山登りを知ったときから、ずっと発狂状態なんだ。」と仰っていたそうです。その言葉を夫から教えてもらった時、私も写真に出会ってからずっと発狂状態やああ。と激しい共感を覚えました。 私は撮影に行くのが大の苦手です。「写真を撮らなきゃ!!」と意気込んでしまい、自分のイメージや物語の範疇にある窮屈な写真を撮ってしまいます。そんな写真を見ていても目は全然喜んでくれないし、あーあ。自分のために写真を被写体を利用してしまったなあ。と虚しい気持ちになるだけです。なので私は、撮影に行きません。んじゃあどうやって写真を撮っているかというと、いたってシンプルで生きる日々の中でです。通勤しながら、お茶しながら、ぷらぷらと遊びながら…。意気込んでいない時の方が、あっ!っという光景を素直な気持ちで撮ることが出来ます。 それはなんだか不思議な感覚で、意識はしっかりとあるのに私の意思じゃないような […]
2023年3月22日

小林安祐美 個展「reflects of memory」

展覧会概要 服が無くてはならない存在になっている今の時代に、無くてもいい服の存在が多く見受けられることに違和感を抱いています。でもそれは、服が人々を魅了すると言う裏付けでもあります。自分のアイデンティティとなる、分身でもある服に愛着を持つことは必然なこと。服には持ち主の記憶や思い出、その全ての風景を内包していると信じているから。 自身は約7年間アパレルブランドでの販売員を経験し、幾つもの記憶の始まりに立ち会ってきました。その経験から得た二つの視点について、この7年間で撮影されたスナップ(他者)と、分身である服(自分)に本展覧会ではフォーカスを当てています。 自分の目で見た風景と、他者の目で見た風景は、同じ記憶として重なるのか。たとえ同じ時を過ごしても、思考や感情、時の流れの感じ方は違ったもの。もはや他者の風景に自分と言う存在がいないとも考えられてしまう。それでも自分の記憶には確かに在る。実態のないそれを実証してくれるのは、自分の分身である服たちなのかもしれない。 自分の目で見たもの、他者の目で見たもの、思考や感情、時の流れの感じ方が違ったとしても、私たちは同じ時を過ごし、同じ風景を見て […]
2023年2月8日

東京工芸大学 バライタファインプリントゼミ「MODERN MONOCHROME」

展覧会概要 現代においてデジタルが主流になり、また近年フィルムの値上がりなどを理由に銀塩から離れていく人が多くなっている。そのため銀塩を選択する理由は何か問われる。その中で私たちは、デジタルにはない銀塩独自の雰囲気に惹かれた。現代で銀塩を選択していくことは簡単ではない。そんな現代にモノクロバライタプリントで表現していこうとする学生の作品展です。
2023年2月1日

村越 慧 個展「Objet 」

展覧会概要 物の「形」を私たちはどのように見ているのでしょうか。日々触れて見ている気になっている存在も、じっくりと見る機会は少ないものです。物には光と影が輪郭と質感を宿しさまざまな立体のイメージが生まれます。身近なものをヒントにレンズを通して「形」に向き合うこのシリーズの第1弾は、卵による曲線の世界です。 4×5inch大判カメラとゼラチンシルバープリントの作品による展示です。
2022年12月21日

田代つかさ 個展「スペクトラム・アナライザー」

展覧会概要 スペクトラム・アナライザーとは、通信機器や無線機器において高周波の歪みやノイズを測定するための機械を表す名称である。 目の前の事象にシャッターを切るのも、日々浮かび上がる言葉を使って現実からの逸脱を求めることも、カメラという機械で・または自身という媒体を使って現実に潜むイメージを希求する行為のように思えた。 (まだ)不可視なものを、身体を使って計測する。 見えていなければ存在しないということではない。
2022年12月14日

鈴木瑛大 写真展「川を編む」

展覧会概要 雨が降る。悲しみの雨なんて、誰かが決めつけるのだろう。雨が川に落ちた時、水滴は川を潜る。光は水面を擦る。生きるという行為は、海を求めて流れる川そのものだった。まだ流れ着くことを知らない、雨の次の日。私はただひたすら喪失でも再生でもない何かで、川を編む。
2022年12月7日

加藤優里 個展「Breathe」

展覧会概要 呼吸をしている、たしかに生きている、と感じる被写体を目の前に わたしは大きく息をすいこみそれらの呼吸に耳をすますシャッターをきりふうっと息をはく それらがすってはいた空気をわたしもすってはいている。 写っているのは、生きもの、物体、景色と異なるけれどそれぞれに脈打つ自然の存在を感じる。 それらと向き合い同じ空気を共有するとき、わたしは強く生きていると感じる。
2022年11月30日

顧 夢 個展「ただよううた −La petite phrase−」

展覧会概要  本展では、日常生活で出会った断片的な詩のイメージを、写真で断片のままに再現することを試みる(*)。 *「断片」とは、様々な形を持っている。写真についていえば、それはときには、電車の窓から見えた一瞬の光景、ときには、写真が現像液のなかで印画紙のうえに現れている過程、ときには、ある写真をたまたま見かけたとき、見る人のなかで何かが蘇る瞬間…。「断片」は、一見バラバラのように見えるが、いろいろな時間を結びつける可能性をはらんでいる。 *「詩」とは、必ずしもアート、私自身の意志と表現に関係を持っているわけではない。それは、ただ名前の手前、出会いのなかに、ただよっている。時には、それを目で探す、時にはただそれを見かける。 === Statement 海を見るとき、時々自分が波の上に閃いている光であることを想像する。次の一秒、明日、来月、太陽と海水の動きにともなって、わたしはどこにどんな色と温度で現れるだろう。  そして、どんな風景が見えるだろう。  薄暗い身体のなかに閃いている快楽。その一粒の光の現れのために、私の身体が海になる(*)。 *「私の身体=私」ではない。私はただ、そこに、 […]
2022年11月16日

ムラカミナナミ 個展「なまえを まだ つけられないでいる」

展覧会概要 壊れそうなものをみた  風に吹かれゆらり    景色が歪んだ 転がっている塊を    蹴っ飛ばすとふにゃり  遠くへ行った 寝転んで目をすぼめた  さらさらと流れて    消えてった
2022年11月9日

石川幸史 個展「Afterwards」

作品概要  この作品は、2008年と2018年に東ヨーロッパ一帯(旧ソ連のウクライナやバルト三国、旧共産圏のポーランド、ハンガリー、スロバキア、ルーマニア、チェコ、ブルガリア、アルバニア、旧ユーゴスラビアのボスニア、クロアチアなど)を旅し撮影したスナップ写真を、ロシアによるウクライナ侵攻後の2022年の現在において改めて見直す中で、新たに見いだされてきた断片的なイメージを編集し制作しています。  1978年生まれの私にとって、幼い頃、繰り返し目にしたチョルノービリ原発事故、ベルリンの壁崩壊、ソ連の崩壊及び東欧の民主化、続いて起こったユーゴスラビア解体やボスニア紛争などの歴史的な事件の映像は、遥か遠く国の出来事でありながらリアルタイムにカタストロフと変革が同時進行していく事態として、またとりわけチョルノービリ事故やチャウセスク大統領殺害の映像などは恐ろしいディストピア的な映像としても記憶の縁にこびりついてきました。 2008年と2018年の撮影当時も、そうしたイメージをどこかにひきずりながら、歴史や暴力の痕跡を求めて都市や路上を歩き、その中を生きる人々や遭遇した光景を撮影していたことを思 […]
2022年10月26日

田村虎之亮 写真展「Roznyja Inshjyja」

展覧会概要 かつて私は自己と他者について考えていたがすぐやめた。考えたところで他者は他者でしかないと思ったから。それと同時に目の前の風景はつまらない、或いは自分が興味を引いたものも他者から見たら大したことはないだろうと思うこともあった。目の前の風景はつまらなく見えるーーそれは自らを表しているようだった。ただ、そのつまらなさがいいと思うこともある。面白い、いや、つまらない。なんにもならないだろう。呪いともつかない、呪いにすらならないことを考えながら撮影した。 Roznyja inshjyja(ロズニィヤ・インシィヤ)とはベラルーシ語で「様々な他」を意味する。これは、ベラルーシ語がロシア語やウクライナ語に比べてあまり関心が持たれていないと言うことと、自分が今年の春にベラルーシを訪れたことがリンクして選ぶに至った。 ここに並べられている他者達の営みはやがて忘れ去られるかもしれないが、ただ、今だけは見ていてほしい。 2022年 田村虎之亮